和田京平レフェリーの葛藤と後悔「元子さんにも 馬場さんにも申し訳ない気持ちは残っている」

2021年04月12日 07時00分

長きにわたって元子さん(左)を支えていた和田京平レフェリー

【故ジャイアント馬場さん夫人・馬場元子さんの遺言(6)】馬場元子さんは2017年6月9日、練馬区の介護施設から聖路加国際病院に移った。実はこの時期は少し「矛盾した発言」が入り始め、和田京平氏は深夜に病院に呼び出されることが何度かあった。だが受付に行くと「家族以外は入れません」と入室を断られた。

 翌日に病室を訪れると「京平、だからあんたが私の養子になればいいのよ。そうすれば夜中でも入れるんだから」と言われたという。あまりに重すぎる言葉に対し、和田氏は丁重に断るしかなかった。

 入院する前の春には、元子さんのめい・緒方理咲子氏が埼玉県内の自宅に帰った後「何かあった時のために」と1か月近くも元子さんの自宅に泊まり込み、足のマッサージを続けるなど、介護にあたっていた。入院後は何度もお見舞いに訪れた。しかし、6月から元子さんの言動の異変を感じ始めるようになる。

「今すぐキャデラックに乗って迎えに来てちょうだいと深夜に呼ばれたことがあった。キャデラックなんてもうないのにね。深夜に病室に入れなくて翌日、お見舞いに行くと『あんたは冷たい』とか…。俺自身がもうつらくなって、これ以上は無理だなと思って身を引いたんです。『養子になりなさい』と言われたけど、俺にも家庭があるし、相続などいろいろ問題も出てくると思ってお断りした。だから7月に聖路加をお見舞いしたのが最後になった」と和田氏は明かした。

 この時期は緒方氏も埼玉県内の自宅から深夜1時に呼ばれて深夜3時まで立たされたまま話につき合わされることもあった。「このまま静かに天寿を全うしてくれればいいのに…」と思うこともあったという。

 和田氏が続ける。「いろいろと批判や問題はあっただろうけど、今では本当に、あの時に俺が本当に養子になって全部相続しておけばよかったと後悔してますよ(笑い)。そうすれば恵比寿の自宅も売りに出さず残せたのになと。お墓(兵庫・明石市)は遠いし、これからは命日とか節目の際は、馬場バル(港区新橋)に集まればいいんじゃないか。元子さんの遺志通り、みんなが馬場さんをしのぶ場所ができたわけだから」

 余談になるが最終的に緒方氏の息子でH.J.T.Production代表取締役の公俊氏(33)が馬場さんの肖像権を継承。不動産などの遺産は元子さんの本家の遺族数人が相続し、恵比寿の自宅は現在、人の手に渡っている。

 和田氏は「やはり最期までそばにいてあげるべきだったのかもしれない。元子さんにも馬場さんに対しても申し訳ない気持ちは残っている。でも当時の俺には限界だったし、仕方ないと思う。俺が仮にそばにいたら『今すぐ家に連れて帰って』と言われただろうしね」とも語った。

 その後、元子さんは転院を重ねた後、11月から渋谷区恵比寿の介護施設に移り、見舞い客の会員証にスタンプを押しては冗談を言う平穏な日々が過ぎる。そして「最後の日」はあまりに突然に訪れた。ここでもう一つの「遺言」が記者に残された。(続く)

(運動二部・平塚雅人)

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