【お宝写真館】耳に手を当て観客席を挑発するのは、日本でおなじみのスーパー・ストロング・マシンではなく、兵庫の野々村竜太郎元県議の変身でもない。このポーズの元祖、ハルク・ホーガンが変身した、その名も「ハルク・マシン」だ。1986年9月22日(日本時間23日)、米国ニューヨークのMS・GにおけるWWF(現WWE)興行からの一コマだ。

 今もおなじみストロング・マシンは1984年夏に新日本プロレスに初登場し以降、2号、3号と増殖を繰り返す。

 85年夏に本家のスーパー・ストロング・マシンが新日本を離脱すると、直後の85年8月には誰が見ても正体が分かるアンドレ・ザ・ジャイアントがジャイアント・マシン、マスクド・スーパースターがスーパー・マシンを名乗ってジャイアント・マシンズが登場。この変身をアンドレが気に入り、わざわざスーパースターをWWFに呼び寄せ、ついには米国でもジャイアント・マシンズを披露した。

 これに触発されたホーガン(そもそもホーガンはスーパー・デストロイヤーという覆面選手としてデビュー)までもがハルク・マシンに変身し、日本産の覆面軍団が米WWFマットで増殖するという珍事に…。

 当時、日本ではそれほど詳細に報じられなかったが、WWFでマシンの覆面をかぶった選手はブラックジャック・マリガン(ビッグ・マシン)、ロディ・パイパー(パイパー・マシン)、クラッシャー・リソワスキー(クラッシャー・マシン)、ジョージ・スチール(アニマル・マシン)、ランディ・サベージ(マッチョ・マシン)、リッキー・スティムボート(ドラゴン・マシン)、ジャンクヤード・ドッグ(ジャンクヤード・マシン)、ディック・スレーター(レベル・マシン)、ホンキー・トンクマン(ホンキートンク・マシン)などそうそうたるメンツ。本家日本を凌駕する豪華なマシン軍団だった。

 マシンの覆面は「シンプル・イズ・ベスト」を地で行く秀逸なデザイン。

 これはカルガリーから帰国した平田淳嗣が数ある覆面のデザイン案の中から、少年時代に愛読した楳図かずおの漫画「笑い仮面」をほうふつさせるデザインを選び、喜怒哀楽が全く読めない、おなじみの覆面戦士が誕生した。

 ホーガンら米国勢がかぶった覆面は、目尻と口角部分(?)が二股に割れており、ほんの少しだけデザインが異なる。