【プロレス蔵出し写真館】“鉄人”ルー・テーズまで…寒すぎて試合でシャツを着た外国人軍団

2021年03月14日 10時00分

テーズを押さえ込む杉山。外国人選手はシャツを着用、レフェリーはジャージ姿(68年1月、福島・原町)

 寒いので外国人選手はシャツの着用OK!? 

 今から53年前の昭和43年(1968年)1月27日、福島・原町市体育館で行われたTBSプロレス(後述)で、そんな〝特別ルール?〟の試合があった。

 写真はメインイベントのタッグマッチ60分3本勝負の2本目のフォール場面。フォールされているのは20世紀最大のレスラーと言われた〝鉄人〟ルー・テーズだ。

 1本目にテーズからフォールを奪われたサンダー杉山が奮起、2本目をわずか47秒でテーズをフォールした。カットに飛び込んで来たのはテーズのパートナー、ハンス・シュミット(右後方)。それをけん制する杉山のパートナー豊登(左後方)。手前はカウントするレフェリーのフレッド・アトキンス。

 この試合、テーズとシュミットはシャツを着用し、レフェリーはジャージ姿。実は、この日行われた試合に出場した6人の外国人レスラーの内、ブルドッグ・ブラワーをのぞく5人(メイン出場の2人、ダニー・ホッジ、ワルドー・フォン・エリック、クラッシャー・コワルスキー)がシャツを着て試合をしたのだった。
 
 このシリーズ始まって以来、初の満員(発表は2500人)の入りだった会場のファンから、当然のごとく失笑を買ったのは言うまでもない。何しろ、メインに出場した杉山、豊登はまして裸足(でのファイトスタイル)だったのだから…。

 この試合を取材した記者は回想する。「当時は会場にヒーターなんてなかったけど…あのテーズまでシャツを着て試合したのには驚いたね。レスラーは肉体美を見せるもんでしょ。誰だったか、カナダの会場はエアコンが効いてるって言ってたな。シャツを着て試合したの? この日だけじゃなかったね。日本プロレスなら許さなかったと思うよ」

 ちなみに、ハーリー・レイスが日プロに来日したある日、凍てつく寒さの体育館で控室からリングに向かう前、タッグを組むパートナーと互いの胸を突き出し交互に殴り合っていた。「こうやって体を温めるんだ」とレイスは語っていた。

 さて、TBSプロレスとは、67年にTBSが国際プロレスを放映することを決め、団体名もTBSプロレスと改称。「TWWAプロレス中継」としてテレビ放送を開始した。68年1月3日、東京・日大講堂で旗揚げ戦を行い、エースに指名されたグレート草津がテーズのTWWA世界王座に挑戦した(結果はバックドロップを食らい惨敗)。

 悪名高いグレート東郷がブッカーだったこともあり、2月に契約問題でトラブルが発生(法外なギャラを払っていた契約の値下げ交渉に東郷が反発)。そのため、来日していた外国人レスラーが試合をボイコットするという浜松事件が発生。団体が東郷との絶縁会見を行うと、それに反発した東郷は外国人選手とともに、日本人同士で試合を行っている体育館に乗り込み、一部外国人選手は勝手にリングジャックするという暴挙も引き起こした(21日の埼玉・浦和大会)。

 局のイメージダウンを懸念したTBSが団体名を国際プロレスに差し戻し、TBSプロレスの名称はわずか2か月弱で終わりを告げた。

 東郷との決別後、国プロは欧州に外国人ルートを模索し、日プロとは全く異なるファイトスタイルの選手が相次いで来日。後にビッグネームとなるモンスター・ロシモフ(アンドレ・ザ・ジャイアント)や、ビル・ロビンソン、ジョージ・ゴーディエンコ、ジャック・デ・ラサルテス、ダニー・リンチ、双子のエルマンソー兄弟、シーン・リーガン、ワイルド・アンガス、トニー・チャールスら名レスラーを発掘する。

 ただ、残念なことに当時、人気はまったくなかった。国プロが先駆者として新たなシステムを導入、構築した功績が見直されるのは、ずいぶん後のことだった。(敬称略)

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