【プロレス蔵出し写真館】“若武者”船木誠勝が猪木をボコボコに!? ファン感謝デーで実現した夢の一騎打ち

2021年03月07日 10時00分

猪木(右)の延髄斬りをかわす船木(88年4月10日、大阪)

 3日、東京・後楽園ホールの「ストロングスタイルプロレス」で、船木誠勝がケンドー・カシンを相手にデビュー36年記念マッチを行った。試合後、船木は「久々に猪木さんに見られているような気持ち、ずっと猪木さんがいた気がします。」と語った。

 船木がデビューしたのは昭和60年(1985年)の3月3日、新日本プロレスの茨城・北茨木市体育館で行われた後藤達俊戦だった。本紙カメラマンは前年の2月5日、青森・野辺地町体育館で母親、そして東北地区担当のプロモーター三浦庄吾氏に付き添われ、アントニオ猪木の面接を受けている14歳の船木優治少年を撮影していた。

 この時の写真は2012年、連載企画「東スポお宝写真館」に掲載され、「初めて入門テストを受けさせてもらった日。よく撮ってましたね…」と船木は回想した。この日は不合格になった船木だが、2か月後、山本小鉄と面会し入門が認められた。

 さて、デビューを果たした船木が前座でメキメキ頭角を現し、初の海外武者修行が決まったのは88年のことだった。そして、4月18日の福島・いわき市総合体育館が日本での最終戦だったのだが、8日前の4月10日、大阪府立体育会館で猪木との初対決、それもシングル対戦が実現していた(写真)。結果は、延髄斬りで猪木のピンフォール勝ち(4分15秒、体固め)。

 といっても、実は「ファン感謝デー」で行われたエキシビションマッチの話。「猪木ヤングライオン2番勝負」と銘打たれ、猪木は5分1本勝負で船木、山田恵一とシングルで対戦したのだった。

 猪木は船木をピンフォールした後、山田に卍固めを決め勝利目前だったが、乱入した船木が妨害。猪木に2人がかりのドロップキックから骨法のツープラトン攻撃。山田が竜巻蹴り、そして船木は浴びせ蹴り。ダウンした猪木を2人で押さえ込み、2分35秒、体固めでカウント3を奪った。

 怒った猪木は2人を追いかけ回し、山田に浴びせ蹴り、船木にはバックドロップを見舞って留飲を下げた。しかし、「2人がかりでもフォール負けになるのかよ! 骨法の蹴りで背中がしびれて…少しは加減しろ、このバカ」。猪木はボヤキっ放しだったが、なんとも楽しげな雰囲気が伝わってくるエキシビションマッチだった。

 その後の船木は、欧州での武者修行中に前田日明に誘われ新生UWF入りを決意した。翌年の4月6日に帰国した船木は、六本木の新日本事務所に直行し、それから連日社長の猪木から引き留められ説得された。

 それでも船木の決意は固く、猪木と前田が直接会って話し合ってもらうよう船木が要請し、9日新日本の道場を前田が訪ねて猪木と会談を持ち、移籍が認められた。

 船木のUWF移籍が決まると、10日に新日本事務所で猪木と船木が揃って円満移籍会見を行った。エキシビションで猪木と対戦してから、ちょうど丸1年後のことだった。

 船木は自身のユーチューブチャンネルでも、この時のいきさつを語っているが、36年記念マッチを終えた時に感じた猪木への思いは、ずっとこの先も消えることはないだろう(敬称略)。

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