【ミスター・デンジャー松永光弘 この試合はヤバかった】戦いの場から遠ざかっていた松永光弘氏に、ひょんなことからリング復帰のチャンスが生まれる。そしてそれは、松永氏がかねて望んでいたスタイルに生まれ変わる絶好機でもあったという。

 2001年に、ハヤブサ選手の頸椎損傷のけがを見てプロレスに怖さを感じるようになり、大日本プロレスを去りました。

 しかし引退しようかと考えると寂しくなり、フリーでプロレスを続けていました。そのフリー活動もすぐに終わり、それから05年にゼロワンMAXに登場して本格的にプロレスを再開するまでには、数年のブランクがありました。

 私は当時ゼロワンに出場していた空手軍団から「後楽園ホールにXを連れて行くと言ってしまったもののXが決まっていなくて、当てもないのでXとして登場してほしい」と頼み込まれて、後楽園ホール大会の数日前に参戦を受諾。白覆面をかぶり、空手軍団のセコンド・Xとして、登場しました。

 ブランクがありましたから、ゼロワン軍と空手軍の乱闘に加わらず、白覆面と黒空手着の格好で、ただブラブラと歩いていました。セコンドとして見ていた、ゼロワン軍と空手軍の試合がつまらなかったのもあり、話すこともなく、カメラの前でほえる空手軍の横で、一言もしゃべらずに、覆面を脱いで無言で正体を明かしただけでした。

 しかし、この行動が思わぬ評価をされます。

「一言もしゃべらない目的不明の謎の行動の松永。乱闘にも参加しない姿が何を考えているのか分からなくて気持ち悪かった」

 私は「プロレスは奥が深い。ただ無言で何もしなかったことが、逆に幻想を生むとは!!」と思いました。

 そして、ゼロワン参戦初戦、空手軍とゼロワンヤングMAX5対5対抗戦の浪口修戦で無言のまま凶器で血祭りにした試合。大きなインパクトを残したことは、会場の反応で分かりました。

 私は実は、ヒール志向。すなわちプロレス界では悪役になりたかったのですが、バルコニーダイブ以降、真逆の存在でした。しかし、この時ずっとやりたかった「悪役」に目覚めたのです。

 せっかくなら、悪役の“役”ではなく、本当の“悪”になろう――このチャンスをモノにするために、20年近いキャリアを結集して、これまでの集大成にするべく気合を入れました。

 私は一人でゼロワンに乗り込んだ、一言もしゃべらない謎の男になりきるために、ゼロワンの選手やフロントとは公私ともに、一切の交流なし。ゼロワンには当時女子の選手が4人参加していましたが、この後、半年間の参戦時にあいさつも全くせず、一言も会話しませんでした。私が時折控室から出ると、その4人の女子選手は肩を寄せ合っておびえていました。

 この時が、私にとってはプロレス人生で一番面白かった時だったかもしれません。憧れのザ・シークになった気分で凶器で相手を片っ端から切り裂いていきました。

 そして試合が終わっても“悪”が憑依してしまって数日間は頭がおかしくなってしまっていましたが、プロレスラーとして何物にも代え難い快感でした。

 ☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。