【越智正典 ネット裏】終戦から8年。昭和28年2月1日、NHK東京テレビジョンが開局、本放送を始めた。受信料は月200円、受信契約数は866(日本放送協会編、日本放送出版協会刊「放送五十年史」)。

 放送はまだラジオの時代で、NHKが27年4月10日から始めた、作菊田一夫、音楽古関裕而の連続放送劇「君の名は」は紅涙をしぼった(~29年4月8日)。「君の名は」が始まると銭湯の女湯がガラガラになった…という話はよく知られている。

 民間放送、HBC「北海道放送」が27年3月10日に開局したとき、レコードが3枚しかなかった。1枚は滅多に流さなかったが「上海帰りのリル」。

 HBC竹村アナウンサーは、札幌ススキノの掘立小屋のような飲み屋街に来るときも、毛布、着替え、握りめしを詰め込んだリュックサックを背負っていた。呑み出す。が、店のラジオから「どこにいるのか、リル…」。津村謙の「上海帰りのリル」が流れると、飲み仲間が「ほら、竹さん呼び出しだよ」。これがアナウンサー緊急呼び出し令だったのである。

 朝鮮戦争の特需がなくなったきびしい時代を超え、ラジオ局が続々と誕生し健闘する。28年10月1日、ラジオ香川(西日本放送)、11月1日、ラジオ東北(秋田放送)…。

 28年8月28日、民放テレビ第1号局日本テレビが開局した。あけて29年2月19日に「プロレスリング」の実況中継を決めた。蔵前国技館で日本の柔道の木村政彦と相撲の力道山が、アメリカのベン・マイク、シャープ兄弟と3日間戦うのだという。担当アナに3人が決まった。

「プロレスリング」――。3人とも聞いたことがない。力道山が出ると聞いて、相撲が得意な江本三千年は相撲協会へ行ったがわからない。佐土一正はレスリングというのだからと、母校中央大学のレスリング部を訪ねた。中央大学のレスリング部は黄金時代だったが「プロレスリングですか? 知りませんねー」。

 私は木村政彦が出ると聞いたとき、はじめ、昔見た日本柔道対メリケン拳闘ではないかと思ったが、待てよ、進駐軍の匂いがする。横田基地の正門前へ行った。旧立川陸軍飛行隊。川上哲治は戦争中、戦闘機の火砲の整備中隊中隊長だった…。

 古書店で米兵たちが読んでいたポケットブックを探したが「プロレスリング」の本はなかった。占領軍ホテルだった日比谷交差点角の日活ホテルに廻って見たが地下売店にもなかった。神田神保町の古書店街を歩いた。ない。ひょいと「ボクシングアンドレスリング」という書題が目に飛び込んで来た。これもちがうだろうなと、立ち読みすると「ココナッツクライ」「ニードロップ」「ボディースラム」。どうやら技の名称らしい。当日、私は見当をつけて「ココナッツクライ」などと喋った。あとで表紙の写真が「グレート東郷」だったとわかった。

 本番前日、力道山が正力松太郎日本テレビ会長に挨拶に。3人で囲むと力道山が言った。

「放送局さん、ご苦労さんです。あしたは『空手チョップ』と言って下さい」

「空手チョップってなんですか?」「見ればわかりますよ」。颯と帰って行く力道山は、横田基地のなかで猛練習をしていたのだ。あとでわかった。 =敬称略=