「猪木さんに謝りたい…」船木誠勝が1989年UWF電撃移籍の真相を告白

2021年02月14日 07時00分

円満退社会見に臨んだ船木(左)は猪木と笑顔で握手(1989年4月10日、東京・六本木の新日本プロレス事務所)

 ハイブリッドレスラー・船木誠勝(51)が、これまで遭遇したさまざまな事件の裏側や真相を激白する話題の企画。今回は船木自身が1989年に新日本プロレスからUWFに移籍した事件にスポットライトを当てる。プロレス界に衝撃が走った金の卵の電撃移籍の真相とは。そしてすべてを語った船木は、アントニオ猪木への謝罪を口にした。

【THE FACT~船木が見た事件の裏側(2)】88年に突然、海外遠征が決まりました。前田(日明)さんを苦しめたドン・中矢・ニールセンと自分が次にやるという話があったりして、自分が格闘技路線に行くのを阻止するために坂口(征二)さんが海外に行かせたのかもしれません。

 出発直前の4月、高田(延彦)さんと山崎(一夫)さんに送別会をしてもらいました。その時は前田さんが長州(力)さんの顔面を蹴って新日本を解雇されたばかり。その席で高田さんと山崎さんは「前田さんともう一回UWFを始める」と打ち明けました。そして「お前にも来てほしいんだよ」と。もう即答です。「行きます」と。CWA(ドイツ・オーストリアの団体)との契約書にサインした後だったので、帰ってきたら合流することにしました。

 でも、それからが大変でした。しゃべるわけにはいかない。その上、新日本の〝監視役〟が入れ替わり立ち替わり、自分のところに来るんです。トニー・セントクレアは新日本のシリーズに参加したあと必ず様子を見に来る。スコット・ホールも来たし、藤波(辰爾)さんも。そして(獣神サンダー)ライガーさん。試合することもあったんですが、イギリスではずっと一緒でしたよ。自分ひとりにしておいたら危ないと思ってたんでしょうね、新日本は。

 89年の2月、専門誌の人が来て「UWFに移籍するって話を聞いたんだけど、どうなの」と聞いてきました。それで「そうです。行きます」と答えると、表紙に載ってしまって…。そこから大騒ぎです。毎日電話がかかってきました。いろんな人が慰留してくる。会社の人はもちろん、米国武者修行中の蝶野(正洋)さんまで電話してきました。「船ちゃん、もったいないよ」って。自分の母親までイギリスに寄越しましたからね。

 大騒ぎの中、89年4月に帰国しました。空港から新日本の車に乗せられて事務所の社長室に直行です。そこから丸3日間〝軟禁〟されて、当時社長だった猪木さんから慰留されました。

 猪木さんは「これからラスベガスで異種格闘技戦をやって、それをギャンブルにするという構想がある。お前はその異種格闘技戦専用の選手として必要なんだ。お前がいなきゃ、この話は成り立たないんだ」と説得してきました。

 さらに、永里高平専務(当時)は「まず再契約金1000万円。そして藤波、長州クラスのギャラを出す用意がある」と持ちかけてきました。蝶野さんが言っていた「もったいない」はこれだったのかと思いましたよ(笑い)。

 でも、最後に猪木さんはこう話しました。「社長として引き留める義務があったのでいろいろ言ったけど、最後に贈る言葉がある」と、あの「道」という詩を出してきたんです。その最後は「迷わず行けよ。行けばわかるさ」。それを見て、自分は慰留を振り切ることを決めました。

 次の日、猪木さんに前田さんと会ってもらいました。自分、そして同じく移籍を決めていた鈴木みのるも同席。鈴木は途中から居眠りしてましたけどね(笑い)。そして猪木さんは「きれいに送り出してやりたい」と異例の円満退社会見まで開いてくれました。

 当時、自分は同期に武藤(敬司)さんがいるんで、スターにはなれないと思っていました。それなのに、何で社長が3日間も自分を説得するんだと疑問でした。見込んでくれていたことがわからなかったんですね。そして社長の義務を殺して自分を送り出してくれた。だから今は本当に申し訳ないと思っています。お会いして、ちゃんとあの時のことを謝りたいと毎日思っています。猪木さんに謝りたいです。


【今回の事件】1989年、英国武者修行中の船木が専門誌にUWF移籍を表明。新日本プロレスは船木を将来のエースと見込んでいただけに、なりふり構わぬ慰留策を展開した。しかし船木を翻意させることができず、最後は新日プロ社長(当時)の猪木とUWFの総帥・前田が船木、鈴木みのるを交えて話し合い、船木の新日円満退社→UWF移籍が決定した。

 ☆ふなき・まさかつ 本名は船木優治(まさはる)。1969年3月13日生まれ、青森県弘前市出身。84年、新日本プロレスに入門。翌年に15歳11か月の史上最年少デビュー(当時)を果たした。89年、UWFに移籍。その後、藤原組を経て93年にパンクラスを設立。ヒクソン・グレイシーに敗れ引退したが、2007年に現役復帰。現在はフリーとして活躍。181センチ、90キロ。主なタイトルは3冠ヘビー級王座。得意技は掌底など。

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