【プロレス蔵出し写真館】34年前…偉大な父の激闘を見つめる“荒鷲2世”坂口征夫 隣には弟の憲二

2021年02月14日 10時00分

木村(右手前)に痛めつけられるサモアンを見つめる少年時代の征夫と憲二(1986年6月、稲毛)

 14日午後2時から行われるDDT神奈川・カルッツかわさき大会で、上野勇希に〝荒鷲2世〟坂口征夫が挑戦するDDTユニバーサル王座選手権が行われる。8日の調印式で、坂口は挑発した上野の顔面を殴り、ボディーブローを見舞った。

 東スポWebには坂口がうずくまる上野を見下ろす写真が使われていた。それを見て、東スポの画像アーカイブで見た34年前の坂口征夫、13歳の征夫君が重なって見えた。

 それは1986年6月15日、新日本プロレスの千葉・稲毛マリンピアスポーツアリーナ大会での写真。木村健吾(後に健悟)が場外乱闘で倒れているワイルド・サモアンに攻撃を加えようとする左斜め後方、リングサイド席からそれを見下ろす征夫少年。左隣の白いTシャツはのちに人気俳優となる弟の憲二。

 この試合は、父の坂口征二が木村と組みサモアン、キューバン・アサシン組と対戦したセミファイナルのタッグマッチ。坂口がアサシンをアトミックドロップから片エビ固めでフォールし、父親の雄姿を愛息に見せつけた。ちなみに写真の左サイドはサモアン夫人と2人の愛娘。こちらは複雑な表情で?その光景を見つめていた。

 さて、征夫と憲二は少年時代に後楽園ホールや、関東圏の会場によく顔を見せていた。坂口の引退セレモニーが行われた1990年3月23日の後楽園大会には、2人とも学生服で花束贈呈に駆けつけた。

 この当時は、まさか征夫が上半身に入れ墨を入れたり、総合格闘家、そしてプロレスラーになるとは、そして憲二が芸能界に入るとは想像もしていなかった。

 2003年に高山善廣との遺恨が発生し、13年ぶりにリング復帰を果たした父・征二が蝶野正洋と組み高山、真壁伸也(現・刀義)組との試合(9月14日、名古屋レインボーホール)では2人がセコンドに就いた。

 そして、2013年8月17日、両国国技館で行われたDDTの試合では兄弟の競演がリング上で実現した。「モンスターアーミーvs坂口家」と銘打ちガウン、ブロンズ像など坂口家の家宝を奪った俳優の渡辺哲率いるモンスターアーミー軍(アントーニオ本多、佐々木大輔、火野裕士、星誕期)との激突。征夫のパートナーはマサ高梨、彰人、平田一喜、そして憲二がセコンド。

 セコンドの憲二が征夫と揃ってリングへ向かうと会場はヒートアップ。試合は渡辺がTシャツを脱ぎ捨てリングイン。実の息子・本多とぐるぐるパンチで征夫に攻撃を仕掛けた。兄のピンチに憲二がロープをまたぎリングイン。渡辺と対峙すると、本多が憲二を羽交い締めにして渡辺がラリアート。これをかわして誤爆させると、憲二は佐々木に打点の高いドロップキック一閃!

 この場面は憲二が人気俳優ということもあり、多くのメディアで取り上げられたが、圧巻だったのはこの後。本多に父・征二の得意技だったアトミックドロップを炸裂。直後に征夫が本多をスリーパーで絞め上げ勝利し、坂口家の家宝を奪還した。

 憲二は「(アトミックドロップは)勝手に出たというか。小さい時から見てたので」と語った。少年時代に父の試合を観戦したことが、この試合に生きたようだ。やはり血は争えないということか…。

 征夫は2015年にKO-D無差別級王者になったが、父・征二は「プロレスをやりたくてもやれない思いもあっただろうし、遠回りしたけどやってきたことを褒めてやりたい」とプロレスラー・征夫を初めて認めた。

〝荒鷲2世〟というニックネームは消えることはないだろうが、重荷を背負うことはないだろう。〝狂気の金狼〟というニックネームが定着しつつあるのだから(敬称略)。

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