松永光弘 現役をダラダラ続け…憧れのシークより元気な老レスラーになろう!!

2021年02月14日 10時00分

【写真右】自ら経営するステーキ店で厨房に入る松永氏【写真左】“アラビアの怪人”ザ・シーク。引退セレモニーが行われた98年には72歳だった

大日本プロレスを離れ、松永光弘氏は約4年間、団体に所属することもなく、試合数も極端に減ってしまった。「引退」が脳裏をかすめたこの時期、ミスター・デンジャーは何を考えていたのか。

【ミスター・デンジャー松永光弘 この試合はヤバかった 番外編】ハヤブサ選手の頸椎損傷、そしてその後、電動車椅子姿になってしまうけがを見て、プロレスを続けることに怖さを感じるようになりました。

 既にステーキ屋は、食べていくのに困らないくらいになっていましたから、リングを去ることはいつでもできましたが、「引退」と考えると寂しくなります。

 思えば、プロレスは人生そのものでした。子供のころテレビのゴールデンタイムで衝撃を受け、そして散々紆余曲折しながらもプロレスラーになれました。そしてバルコニーダイブから約10年間、ミスター・デンジャーと呼ばれて、メインイベンターにもなれました。まさに人生、プロレス漬けだったのです。

 ここまで来て、このタイミングでプロレスを捨ててしまうことがどうしてもできませんでした。

 結局、フリーのレスラーとして4年間過ごしました。

 誘いがあれば出場するという感じで、多少でも話題になりそうな試合を選んでいました。関節技の達人である藤原喜明組長相手に、全身に有刺鉄線を巻いて挑み、それを剥ぎ取られると、リング上に画鋲をバラまいて横になってグラウンドに誘ったり。

 デスマッチも結局続けていました。金村キンタロー選手とのW☆ING清算マッチでは、ディファ有明のバルコニーから飛びました。

 この4年間、試合数は少なかったですし、試合を全くしていなかった年もありました。

 店のお客さんから「試合をしてください」と言われることはたびたびありましたが、うまくごまかしていました。ステーキ屋で生計を立てられますから無理に試合をする必要もありませんでしたが、引退もできませんでした。

 そうするうち、やがて目標も変わりました。

 プロレスラーとしてダラダラと現役を続けよう。試合をしなかったとしても、プロレスラーの看板は外さない。

 私が一番好きなレスラーは、ザ・シークでした。ザ・シークとはFMWで2度の対戦経験がありました。

「シークのように70歳を過ぎても現役。そしてシークよりもはるかに元気な老レスラーになろう」

 目標は引退ではなく、こんな形に変わっていきました。

 ☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。

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