世紀の大発見!馬場さん愛用「幻のガウン」小鹿会長のトランクで生きていた

2021年01月22日 12時00分

【写真左】インターナショナルタッグ王座戦でこのガウンを着用した馬場さん(67年7月8日、蔵前国技館)【写真右】小鹿会長は秘蔵のガウンを本紙に公開した

≪日本プロレス時代の60年代に着用≫

 小鹿の大発見だ。大日本プロレスのグレート小鹿会長(78)が、〝世界の16文〟として一時代を築いた故ジャイアント馬場さんが日本プロレス時代の20代後半(1966~67年)に愛用していた秘蔵のガウンを半世紀ぶりに発掘した。馬場さんが故吉村道明さんと初めてインターナショナルタッグ王者となった後に着用した王座戦専用の貴重な逸品だという。小鹿会長が明かす「お宝発掘」の秘話とは――。 

 お宝が発見されたのは神奈川・横浜市内の小鹿会長宅だった。1973年4月に崩壊した日本プロレスに最後まで残留し、役員も務めていた小鹿会長は同年夏、事務所整理後に3つのトランクを郵便で受け取ったという。しかし内容を細かく確認することもなく、年月が過ぎた。
「どうせTシャツとかオイラのコスチュームとか試合で使ったものと思ったんだ。そんなものは、いまさら必要ないしな。中身はチェックすることもなく、押し入れの中にしまっておいたんだが…」

 だが約15年前、ふと思い立ってトランクの一つを開けると、豪華かつ、とんでもないサイズのガウンが出てきた。「ひょっとしてこれは馬場さんのガウンじゃないか」と思いながら写真に収めたものの、何事も深く追求しない〝小鹿イズム〟を発揮して、再度トランクを押し入れの中にしまっていたという。

 事態が急変したのは昨年末。「押し入れがいっぱいになったので整理したんだ。そしたら先のトランクが出てきて念入りにガウンを見たわけだよ。そこでオイラは気がついた。『これは馬場さんと吉村さんがタイトルマッチで着ていたガウンだ!』と。間違いなくインターナショナルタッグのタイトル戦で着ていたおそろいのガウンだと思う。何という運命だ…」と天を仰いだ。

 インターナショナルタッグは馬場さんが初めて巻いた世界的なベルトだ。28歳の66年11月5日、蔵前国技館で吉村さんとのコンビで王座を奪取。翌年10月6日福島でビル・ワット、ターザン・タイラー組に敗れるまで、6度の防衛を重ねた。その後、アントニオ猪木、坂口征二とパートナーを代え、全日本プロレス旗揚げ後もジャンボ鶴田(故人)とのコンビで同ベルトを合計12回巻いた。

 当時、小鹿会長は吉村さんの付け人を務めており「インタータッグのべルトが日本にあるなら、会社で日本人の王座戦専用のガウンを作りましょう」と提案。実現に至ったという。「なのでこのガウンは吉村さんと組んでいた時にしか着ていないはず。日本プロレスが作ったからそのまま会社の倉庫に保管されて、そのうちの一枚がオイラの元に届いたというわけだ」と明かす。

 となれば、リング上の披露からは実に約54年ぶり。日プロ崩壊からも約47年ぶりに日の目を見たことになる。

 馬場さん夫人の元子さん(故人)の又甥で肖像権を管理するH.J.T.Productionの緒方公俊代表取締役(33)は「小鹿さんからガウンが見つかったというご報告はいただきました。間違いなく故人が着用していたものと存じます」と話し、全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(66)も「誰がどこからどう見ても本物でしょう。昔からの馬場さんと小鹿さんの関係を考えても(製作の過程は)納得がいきますね」と太鼓判を押した。

 あまりに貴重な代物の発掘に驚いた小鹿会長が知人に聞いたところ「(売りに出せば)1000万円以上になるんじゃないか」と言われたという。今月31日は馬場さんの命日。2月4日に東京・後楽園ホールでは「23回忌追善興行」(東京スポーツ新聞社後援)が開催され、小鹿会長も8人タッグ戦(小鹿、渕正信、大仁田厚、越中詩郎組対2代目タイガーマスク、大森隆男、井上雅央、菊地毅組)出場が決まっている。

「縁というかつながりというか、天国の馬場さんからのメッセージとしか思えない。歴史を刻んだガウンなので、しみや汗のにおいもあるし、生地の縮みなどかなり傷んでいる。修繕してから世の中の皆さんに公開できるようにしたい。今までは馬場さんの悪口ばかりだったが、今回の件を啓示として偉大な故人の業績を世に伝える役目に徹します…」。小鹿会長はしかるべき場所に寄贈する意向を示した。

≪馬場さん遺品の行方≫

 馬場さんの遺品の多くは現在、東京・港区の「ジャイアント馬場バル」に保管されており、ガウンやリングシューズ、日常の愛用品、等身大フィギュアなどが常時展示されている。

 また昨年12月には馬場さんがハワイ・ホノルルで愛用していたキャデラックが、保管者から馬場さんの故郷である新潟・三条市に寄贈された。馬場さんは2016年9月に同市の名誉市民となっている。

 1972年3月に猪木が新日本プロレスを、馬場さんが同年10月に全日本プロレスを旗揚げした後も小鹿会長は日本プロレス役員として団体に残留。日プロ最後の大会となった73年4月20日の群馬・吉井町大会でもメインを務め、団体の残務処理に当たった。日プロ“最後の役員”だからこその大発見と言えそうだ。なお小鹿会長は日プロ崩壊後の73年6月から全日本に合流した。