【プロレスPLAY BACK(108)】31日は“世界の16文”こと全日本プロレス創設者・故ジャイアント馬場(享年61)の命日に当たり、2月4日後楽園ホールでは「23回忌追善興行」(東京スポーツ新聞社後援)が開催される。

 旗揚げ当時の全日本はNWAとの提携を柱にしており、今から47年前の1974年1月には、プロレスファンの間でも長く語り継がれている「現・前・元NWA世界ヘビー級王者」が一堂に集結した豪華なシリーズ「新春NWAチャンピオンシリーズ」が開催された。

 当時王者の第48代王者ジャック・ブリスコ、第47代王者のハーリー・レイス、第46代王者のドリー・ファンク・ジュニアが一気に来日。1月23日から30日までの8日間で、実に5回のNWA世界戦が行われ、本紙は連日1面で詳細を報じた。74年1月23日長崎で先陣を切ってブリスコに挑戦したのが馬場だった。

「虎の子のPWFヘビー級タイトルを失うか、NWA世界ヘビー級王座をもぎ取って一気に世界の2冠王に君臨するか――くしくも36歳の誕生日を迎えた23日夜、ジャイアント馬場は運命の決戦を迎えた。馬場はスタートから猛攻。11分過ぎに必殺のジャンピングネックブリーカードロップで先制した馬場は王座奪取へ猛ラッシュしたが、しぶといブリスコは2本目の9分過ぎ、ついに伝家の宝刀フィギュア・フォー・レッグロック(足4の字固め)で馬場からギブアップを奪い、1―1のタイに持ち込んだ。決勝ラウンド、またもやブリスコの4の字地獄にはまった馬場は、粘りに粘って逆回転。ブリスコとリング下に転落し、両者リングアウトの1対1に終わった。馬場は試合を優位に進めながらあと一歩の決め手に欠き、PWF王座は守ったものの、悲願のNWA王座奪取はならなかった。なお、きょう24日広島県体育館では前王者ハーリー・レイスが挑戦する。

【馬場の話】楽勝の試合だと思った。広島大会のレイス戦を研究すれば、今のブリスコなら勝てる。今までキニスキー、ジュニア、レイスと歴代の王者と戦ってきたが、ブリスコは彼らに比べて力強さが感じられなかった」(抜粋)

 しかし、ブリスコは驚異の粘り強さを発揮。翌日のレイス戦は1対1の引き分け。同28日名古屋のザ・デストロイヤー戦、同29日名古屋のドリー戦、30日日大講堂のジャンボ鶴田戦をいずれも1対1のドロー防衛で、過酷な日程をクリアしている。それでも日本で初めて8日間のうちに5試合もNWA世界戦が組まれたのは、今でも快挙としてマット史に刻まれる。ちなみに馬場は同年12月2日鹿児島でブリスコを撃破。日本人として初めてNWA王座を奪取している。 (敬称略)