大きなスーツケースを手に、肩には衣装バッグ、そして脇に大きな荷物を挟んで列車を降りてきたのは〝美獣〟ハーリー・レイス。奥にはビクター・リベラの姿も見える(写真)。
 
 見た目はまるで荷物を運ぶポーター(日本だと赤帽か…)のようだ。

 これは、今から39年前の1982年10月30日、北海道の函館駅に到着した場面。全日本プロレスに参戦していたレイスは26日の帯広大会で、ジャイアント馬場を破りPWFヘビー級新王者になっていた。

 それにしても、レイスはなぜ、こんなたくさんの荷物を運んでいたのか?

 実は、レイスの美人妻・イボンヌさんが巡業に同行していたのだ。欧米人は女性に荷物は持たせないという習慣があるらしく、夫人の荷物も運んでいたのだ。イボンヌさんは以前から、時に息子のジャスティン君を伴って何度もレイスに同行して来日していた。

 この日、イボンヌ夫人が持っていた荷物は、夫・レイスを撮影するための8ミリフィルムだけだった。

 さて、タフネスの権化として「殺しても死なない奴」とまでいわれたレイスだが、WWF(現WWE)に〝キング〟ハーリー・レイスと名乗り参戦していた88年。5月18日付の本紙に衝撃的な見出しが躍った。 

「レイス再起不能に」

 レイスは5月初め、ニューヨーク近郊の試合中にアクシデントで肋骨を折り、その骨が内臓に刺さり病院に運ばれた。病院に運ばれたレイスは1週間こん睡状態となり、一時は死の宣告まで受けたという。

 奇跡的に意識を回復し、命に別状はなかったが、担当した医師は「もうリングに立つのは無理」と語ったという内容。あのレイスが…言葉が出なかった。

 しかし、何とレイスは11月4日、米コロラド州デンバーでのスコット・ケーシー戦で復帰戦を行った。

 そして、復帰したレイスを取材したのは24日、米オハイオ州リッチフィールドで行われた5対5イリミネーションバトル。アンドレ・ザ・ジャイアントと並んでコーナーに待機したレイスを望遠レンズのファインダーをのぞくと腹部に20センチ以上のタテの手術跡があり、再起不能説が出たのもうなずけた。

 そんなレイスは翌年の89年にWWFを離脱し、4月に3年ぶりに来日した。これが現役での最後の来日となった。

 今年、2月4日に東京・後楽園ホールで「ジャイアント馬場23回忌追善興行」が開催されるが、ハーリー・レイスは馬場の最大のライバルの一人だった(敬称略)。