【プロレス蔵出し写真館】衝撃の合体技! ファンを魅了したアドニス&オートンの「マンハッタンコンビ」

2020年12月20日 10時00分

日本で初公開されたマンハッタンコンビのツープラトン攻撃。オートンが抱えた木村にアドニスがラリアート!(1983年3月4日、相模原市立総合体育館)

 かつて短期間のタッグ結成にもかかわらず、ファンを魅了した新日本プロレスの常連外国人レスラーがいた。  

 今から37年前の1983年3月4日、神奈川・相模原市立総合体育館で開幕した「ビッグファイトS第一弾」でタッグを結成した〝マンハッタンコンビ〟アドリアン・アドニスとボブ・オートン・ジュニアだ。

 プエルトリコのサンファンでタッグを組んでいたという二人は息の合ったチームワークを見せ、コーナーポストを使った様々な合体技をこのシリーズで披露した。その当時、初めて見る〝摩天楼殺法〟の数々にファンはド肝を抜かれた。

 コーナーから飛ぶのは決まってアドニスだった。オートンがパイルドライバーに捕えた相手に向かい、ポスト最上段からジャンプして尻、あるいは足を押し脳天杭打ちのハンマー役。また、オートンがバックブリーカーを決めている相手のノド元にエルボードロップ。ブレーンバスターがパワーアップするように、オートンが持ち上げた相手にポスト最上段からボディーアタックを見舞うなどなど。

 もっとも衝撃的だったのは、開幕戦のアントニオ猪木&木村健吾(後の健悟)組との試合で見せたフィニッシュ技。オートンがバックドロップの体勢で担ぎ上げた木村に、アドニスがポスト最上段からフライングラリアートを見舞ったシーン(写真)。
 

 後にハイジャックラリアート(あるいはスカイハイラリアート)と呼ばれるこの合体技はこの日、アドニス&オートンのコンビが日本で初公開したものだった。 
 
 マンハッタンコンビが公開したツープラトン攻撃はその後、長州力ら維新軍が痛め技として使いはじめてポピュラーになり、全日本プロレスでも多くのレスラーがコピーし、ハイジャック攻撃と呼ばれた。

 しかし、シリーズを席巻したマンハッタンコンビは、オートンが諸事情の理由で(新日本の発表は左ヒザ靭帯の負傷)、21日の鹿児島・鹿屋大会から欠場、シリーズ最終戦を待たずに帰国しコンビが解消された。
 
 オートンはその後覆面をかぶり〝海賊男〟ビリー・ガスパーに変身して新日本に登場、アドニスはディック・マードックとコンビを結成。好連連係を見せ、タッグ巧者ぶりを見せつけた。

 翌年、WWF(現WWE)に再登場したアドニスは、85年後半からオカマキャラの〝アドラブル〟アドリアン・アドニスに変身して日本のファンを嘆かせた。

 88年5月には、新日本に暴走族スタイルで3年ぶりに来日しファンを喜ばせたが、帰国した直後の7月5日未明、カナダ・ニューファンドランドで交通事故に遭い即死。飛び出してきたムース(大鹿)を避けようとしてガードレールに激突、川に転落したという。

 7月7日付の本紙「アドニス交通事故死」の見出しに、「えっ、この前帰国したばかりじゃ…」思わず目を疑った。アドニスは34歳の若さでこの世を去った。

 タッグ結成期間、わずか2週間弱で日本のファンにインパクトを与え、ハイジャック攻撃のトレンドを確立させた名コンビは、見納めとなってしまった。(敬称略)

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