最もデンジャラスな一戦 大仁田とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ

2020年11月23日 10時00分

写真左】大仁田をコーナーの有刺鉄線ボードに叩きつける松永【写真右】大仁田にとどめを刺そうと突進するも…自ら電流の流れる有刺鉄線に!

【ミスター・デンジャー松永光弘 この試合はヤバかった】ミスター・デンジャーがW☆INGからFMWに――プロレス界を驚かせた移籍により、松永光弘氏が挑んだのが東京国際見本市会場ドーム館(晴海)で行われたノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチでの大仁田厚との大一番だ。

【1993年12月8日 松永光弘VS大仁田厚】

 W☆INGで私はエースでありながら薄給で、風呂なしアパートに住んでいたのは有名な話ですが、2年目の夏にFMWに引き抜かれました。エースの電撃移籍にマット界は騒然となりました。

 FMWに移籍すると、私がデビューした創成期のころの貧乏団体の面影はなく、その存在はメジャーと呼んで差し支えない規模でした。契約金もいただき、ファイトマネーも破格でした。

 W☆INGはガンガン暴れていればいい団体でしたが、FMWでは常にメインというわけではなく、若手との試合も組まれますから、空手家としてプロレス界入りして、ほどなくデスマッチレスラーに転身した私にとっては、試合内容、特にレスリング色の求められる試合では、苦労がありました。早くいえばプロレスラーとしての基礎がほとんどなく、人気先行型でした。

 12月の大仁田さんとのシングルマッチまでは、3か月間あり、それまでの試合で未熟さを露呈してしまうことになると、その3か月の間に決戦ムードが盛り下がってしまう可能性もあります。ですから、とにかく必死でした。

 決戦といえば、アントニオ猪木さんとストロング小林さんの試合(1974年3月19日、蔵前国技館)は有名ですが、小林さんが国際プロレスを退団、新日マット初戦でのシングルマッチだったので、決戦ムード満載だったのを覚えています。

 同じように、私も移籍初戦で大仁田さんとの電流爆破マッチが組まれていたら、どれだけ気が楽だっただろうかと考えたりしていました。この晴海ドームでの電流爆破デスマッチは、設備費約300万円。W☆INGではほぼ不可能な試合です。

 デスマッチ界東の横綱が大仁田さん。私が西の横綱としての決戦。私にとってファン目線での遺恨試合とは異なり、契約金と破格のファイトマネーをもらっての試合に最大限の気合を入れていました。試合の最後は、サンダーファイヤーパワーボム2連発から、新技のクロスアーム式サンダーファイヤーパワーボムで、私が敗れましたが、この時、実はプロレス人生で一番危険な状態でした。

 首が曲がった状態で受け身が取れないまま後頭部を強打し、意識はあったのですが、体が動かず、指先が動くことを確認して、頸椎まひではないと少し安堵したものの、心配した大仁田さんのかける水で逆に呼吸困難になり「水をかけないでくれ」と声を出そうとしても、出ませんでした。

 まるで死んだようにぐったりした状態で担架に乗せられ、運ばれている時に「死ぬなよ」とのお客さんの声があちこちから聞こえてきました。会場にいるファンのほとんどは大仁田さんのファンでしょうが、敵とはいえさすがに死んでほしいとは思っていないんだな、などと考えていました。

 しかし、レントゲン台に乗せられたころになぜか激痛が全くなくなり、普通に動けるようになりました。

 後日、FMWのスタッフに晴海ドーム決戦の収益を尋ねたところ、「いつもビッグマッチは、リングサイド1万円なんですけど今回は張り切り過ぎて、リングサイド2万円にしてしまい、その2万円席が苦戦しました。晴海から得た教訓は大きいです」と語っていました。

 ☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。

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