あわやディスコ戦…会場の電気を消すだけで設備費ゼロの「月光闇討ちデスマッチ」

2020年11月15日 10時00分

フレディをチェーンで痛めつけた松永だったが、最後は自分が絞首刑になる羽目に

【ミスター・デンジャー松永光弘 この試合はヤバかった】次々に新機軸のデスマッチを打ち出すW☆INGで死闘を繰り広げた松永光弘氏が「画期的なアイデア」と評価するのが、後楽園ホールを真っ暗にして行われた「月光闇討ちデスマッチ」だ。

【1993年6月18日 松永光弘VSフレディ・クルーガー】

 この試合形式は、海外ですでに「ライトアウトマッチ」という名前で行われた試合形式でした。

 プロレス雑誌に「お客さんは、真っ暗で何もわからず」と書かれていたのを覚えています。

 何せデスマッチという試合形式は、お金がかかります。有刺鉄線のような比較的安価な物もありますが、五寸釘デスマッチにかかった経費は80万円ほどで、デスマッチを売り物にする弱小団体にとっては、安くない負担です。

 しかしこの月光闇討ちデスマッチは、会場の電気を消すだけで設備費ゼロの試合形式です。それで後楽園ホールを超満員札止めにしましたから、デスマッチのアイデアとしては、画期的でした。

 しかしながらそれなりに準備上の試行錯誤はありました。海外でのライトアウトマッチ
のように真っ暗で全く何も見えないのも問題ありです。

 当時のW☆INGスタッフが、「後楽園ホールにミラーボールがあるのでそれを使えば、松永さんの試合の動きが断続的に見えますよ」と言っていたのですが、当日の試合前の実験で使ってみると、キラキラしたボールが天井で回っている状態。それを見た外国人レスラーが「ディスコマッチ?」と言って笑顔で腰を振って踊り始めました。

 当然、ミラーボールを使う案はボツになりました。

 またこの日に私の対戦相手として出場予定だったレザーフェイスが、傷害事件を起こして、留置場に入ってしまったのはショックでした(※注)。そこで対戦相手をやむなく、フレディ・クルーガーに変更することに。一方で、ミスター・ポーゴさんがレザーフェイスの格好をしての代打出場に意欲を燃やしましたが、「あまりにも正体がバレバレで、分かりやす過ぎる」と会社から却下され、この日を最後に怒ってFMWへ移籍してしまいました。

 ドタバタが多かったこの日でしたが、会場の非常灯と時計の明かりでうっすらとだけ見え、またカメラマンのフラッシュによって選手の姿が浮かび上がるのが臨場感を出しました。

 試合終了のゴングが鳴りライトがついた時に、私がバルコニーから宙づりにされていたエンディングは、この試合にふさわしい終わり方だったと思います。

※注=当時は「突然の失跡」と報じられた。

 ☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。

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