【猪木デビュー60周年】「両足が宙に浮いた原爆固め」燃える闘魂が振り返るストロング小林戦の秘密

2020年11月07日 11時30分

アントニオ猪木氏が自ら名勝負を振り返った

 プロレス界の巨星、アントニオ猪木氏(77)が9月30日で「デビュー60周年記念イヤー」に突入した。そこで燃える闘魂の数々の激闘を間近で撮影し続けた本紙ベテランカメラマンが、印象的な試合をピックアップ。本紙厳選ショットとともに猪木氏自ら振り返ってもらった。1974年3月19日に東京・蔵前国技館で行われ、ストロング小林を挑戦者に迎えたNWF世界ヘビー級選手権だ。フィニッシュとして放ったジャーマンスープレックスホールド(原爆固め)は、今でも伝説として語り継がれている――。

 アントニオ猪木の得意技といえばコブラツイスト、卍固め、延髄斬りと数多く存在するが、忘れてはいけないのが原爆固めだ。特に若手時代に多用しているが、“神様”カール・ゴッチ直伝のこの大技はここ一番でのフィニッシュに用いられ、多くのライバルたちを葬ってきた。しかし、ジャーマンスープレックスホールドに本人が抱く印象は意外なものだった。

 猪木氏(以下猪木)俺、実はあんまりスープレックスは得意じゃなかったんだよ。ブリッジは良かったんだけど、アーチがきれいにかかっている写真を見たことがないからね(苦笑い)。ただ、やっぱりゴッチさんから教わって、形はできるけど実際に(相手の重心を自分に)乗せて落としたかっていうと、けっこう難しかったな。あまりそういうことは俺は得意じゃないんですね。「いろんなことをやってみたい」っていう時代もあって使っていたけど。

 とはいえ、この必殺技であまたの強敵に土をつけてきたのは事実。その中でも当時を知る人々から「今まで見た原爆固めの中で最も衝撃的だった」と語り継がれているのが小林に決めた一撃だ。

 この試合の約1か月前、国際プロレスのエースだった小林が突如フリー転向を宣言した。国際が管理するIWA世界ヘビー王座を持ったままの宣言はすったもんだの大騒動となったが、本社が仲介役となって王座を返上し、なんとか解決。ちなみにこの時、小林は史上唯一の「東京スポーツ新聞社所属選手」にもなっている。

 試合は事実上の新日本VS国際のエース対決とあって白熱の名勝負に。猪木のテクニック&ラフファイト、小林のパワー殺法が真正面からぶつかり合った。蔵前国技館に集まった1万6500人の大観衆を熱狂させた末に29分30秒、顔面血だるまとなった猪木が小林を沈めたのが、この原爆固めだった。看板を背負う戦いで「絶対に負けられない」との情念がこもった一撃は、その衝撃のあまり一瞬、猪木の両足がマットから浮いたほど。この瞬間、猪木は首一本で大男2人の体重を支えていたことになる。

 猪木 写真を見ると思い出されますね…。言われてみれば、確かに足がはねたなあ(笑い)。当時は今と違ってマットも硬かったですからね。一発でのダメージが受けたほうはもちろん、自分にもあったんだよね。でも、そんなダメージを考えて俺はやってなかったから。首で2人の体重を支えた? ムッフフ…。まあその分、首が強かったですから、俺は。そういえば当時、練習でブリッジをして、体重80~90キロの選手を5人乗っけたことがありますよ。

 400キロ以上の重さを体の上に乗せて“人間橋”を維持する。どうして、こんなことが可能なのか。

 猪木 首が強かったのと、割と体が柔らかくて、ブリッジでアゴまで返っていたからですね。普通はそこまで返らないから、絶対にそれだけのアーチになり切れない。アーチになってしまえば、体重乗っけるのは一緒なんですよ。

 現代とは比べものにならない硬いマットで放つ原爆固めは、自らも大ダメージを負う、まさにもろ刃の剣。「得意じゃなかった」とするのは、ファイター猪木の理想の高さゆえに他ならない。それを日本中が注目する大一番で決めてみせるところが、燃える闘魂の真骨頂。強靱な首と柔軟さで放たれる一撃こそ、まさに「必殺技」と呼ぶにふさわしい。