【プロレス蔵出し写真館】24歳・蝶野正洋の初々しいハチマキ姿 海外遠征先から届いた絵ハガキの中身

2020年11月01日 10時00分

入場式に臨む蝶野(中央)ら。左端がホームパーティーを主催したジョン・ハリス(1987年12月)

 今年は秋開催となった新日本プロレスのG1クライマックスは飯伏幸太が連覇を果たした。その飯伏に優勝トロフィーを渡したのがG1・5回優勝のレジェンド・蝶野正洋だ。

 蝶野がG1を初制覇したのは1991年の記念すべき第1回大会。28才での戴冠だった。

 さて、その蝶野は今から33年前の87年、24才で初の海外遠征で欧州に出発した。3月に行われた第3回ヤングライオン杯優勝の特典だった。

 その年の12月、西ドイツ(東西ドイツ再統一前)・ブレーメンのスタッドハーレで行われた「インターナショナル・キャッチ・カップ87」に参戦中の蝶野を取材した。写真は頭にハチマキ、パンタロン風ロングタイツ姿で入場式に登場した蝶野(中央)。

 プロフィールにタイ式ボクシング、空手の名手と紹介されていた蝶野は、師匠・アントニオ猪木ばりのアリキックを多用。そして、後に得意技にしたケンカキックも使っていた。

 日本から来た我々に対する歓迎の意味もあったのか、蹴りを放つ際、日本語で禁断の4文字を叫んでいた。観客に日本人はいなかったとは思うが、蝶野の気づかい(?)に気恥ずかしい思いをした。

 気づかいといえば、ちょうどこの時期、蝶野はブレーメンから新日本プロレス事務所に近況報告の絵ハガキを送っていて、事務所の掲示板に「ヨーロッパの蝶野選手よりの手紙です」の一文とともに絵ハガキが貼り出されていた。

 ハガキの文面には「前略 ヨーロッパも、ハノーバ大会、ベルリンを無事終え、最後の大会ブレーメンとなりました。(中略)晩秋の気配 くれぐれも、お体お大切に。かしこ」とある。

 それにしても、海外遠征に出た選手が手紙やハガキで近況報告してくることなど、よくあったことなのだろうか?

「海外遠征中の選手から手紙やハガキが来てたという記憶はないですね。お金を送ってほしいとか、電話をかけてくる選手はいましたけどね。そういえば、橋本(真也)選手はよくコレクトコールで電話をかけてきて、話好きだから毎回1時間以上はしゃべってたかな。もういい加減にしろ!なんて怒られてましたね(笑)」(元渉外部・川名輝雄氏)

 そんな証言もある中、その当時在籍していた女性社員に話を伺うと、蝶野から届いたハガキを覚えていた。それは結語が「かしこ」だったからだという。

 普通、男性が使う結語は草々か敬具。それが、主に女性が使う「かしこ」で、それもいかつい蝶野が使っていたことにギャップを感じ、印象に残ったそうだ。

 そして、それは多分、(蝶野の)お父さんが大企業の要職にあった方なので、信書でのやり取りも多く、お母さんが書いて返信する手紙やハガキを蝶野少年が見ていたからでは? お母さんの影響を受けたんだな…と解釈したと語ってくれた。

 蹴りを見舞う際4文字を叫んでいた男は、実は誰よりも律義で良識人だった?

 そんな蝶野が、ブレーメンでしっかりと彼女を見つけていたのはプロレスファンには知られている話だろう。

 イギリスのレスラー、ジョン・ハリス(77年8月、新日本プロレスに来日)が主催したホームパーティー(蝶野のために若い女性を用意したようだ)でウエイトレスのマルティナさんと知り合い、その後マルティナさん目当てにレストランに通いつめ、毎回カルボナーラを注文して「ミスター・カルボナーラ」と呼ばれていたとプロモーターのオットー・ワンツが教えてくれた。

 蝶野はブレーメンでの大会終了後、アメリカに渡りカンザスシティーにアパートを借りた。そして、最初にやったことは長距離電話をかけるための電話の設置だった。

 それが功を奏したのかマルティナさんは生涯の伴侶となり、現在に至っている(敬称略)。