「人間焼き肉マッチ」の語られざる真実

2020年11月01日 10時00分

【写真上】大一番で敗れたミスター・ポーゴに、マネジャーのビクター・キニョネス(中央)もいら立ちを隠せなかった【写真下】リングの四方を炎が取り囲んだファイヤーデスマッチ。5000人を超える大観衆が熱狂した

【ミスター・デンジャー松永光弘 この試合はヤバかった】1990年代初頭に異例の快進撃を見せたW☆ING。「人間焼き肉マッチ」と銘打たれた“船橋決戦”ファイヤーデスマッチがテレビでも取り上げられるなど注目を集めたが、松永光弘氏はこの試合に意外な思いを持っていた。

【1992年8月2日 松永光弘VSミスター・ポーゴ】

 W☆INGは私のバルコニーダイブ(92年2月9日)の約1か月後、松永光弘対ミスター・ポーゴのスクランブルバンクハウスデスマッチ(同年3月8日)で、プロレス雑誌の上半期ベストバウト5位を獲得。私はプロレスグランプリ投票で上半期4位でした。

 まだ、ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんも現役で活躍していた時代です。当時プロレス界の最弱団体だったW☆INGにとって奇跡的な快挙でした。

 ところが一枚岩で躍進してきたW☆INGが、思わぬところで足をすくわれます。ポーゴさんの動きがだんだんおかしくなってきたのです。

 当時ポーゴさんの付け人だった若手レスラーに動脈2本切断のあわや絶命かと思わせる重傷を負わせたり、ファイヤーデスマッチ前日のW☆ING事務所でのルール説明にも姿を見せず、飲み歩いている姿が目撃されました。

 そして試合当日、開場前にリングサイドのガスバーナーに実際に点火して、どのような状態になるか選手、セコンドが把握するための実験にも遅刻。結局何が原因かといえば、当時41歳、レスラーとしてのピークを過ぎつつあったポーゴさんが、当時26歳で破竹の勢いだった私にものすごいジェラシーを抱き始めたことでした。

「松永がエースなんて冗談じゃない」という気持ちがすさまじく、試合が始まっても全く乗ってきません。気合を入れて組み付いても、スッと外して逃げてしまいます。5000人超の観客で満員になった、船橋オートレース場駐車場。しかし、ポーゴさんは世紀の大凡戦にしようとしていました。ダラダラと16分もの時間が過ぎ、スモールパッケージホールドという、デスマッチには全く似つかわしくない私の技で終わり、批判されました。

 私は3年前に亡くなってしまったポーゴさんを悪者にしたいわけではありません。しかし、やはりこの事実は書いておきたいです。

 この後、長年にわたって私とポーゴさんには確執が生まれ、和解したり喧嘩したりを繰り返しました。本当に心から和解したのは、ポーゴさんが亡くなる4~5年前くらいです。

 結局、FMWを超えるのでは?と言われたW☆INGは、ここから失速しました。しかし、今はもう全く憎しみはありません。ポーゴさんが亡くなって、寂しいです。

 ☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。

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