【昭和~平成 スター列伝】大木金太郎 忘れられない「伝説のガウン」

2020年10月25日 10時00分

アントニオ猪木(中)、星野勘太郎(左)とトリオを組んだ大木金太郎。ガウンの背中にキノコ雲が…

【昭和~平成 スター列伝】往年の名レスラー・大木金太郎(本名・金一=享年77)が2006年10月26日に死去して、今年で14年になる。その遺骨は今年5月、韓国の国立墓地「国立大田顕忠院」の「国家社会貢献者墓域」に納められた。韓国スポーツ界の発展に大きく貢献し「スポーツ英雄」に選ばれたためで、オールドファンには感慨深いものがある。

 大木といえば、あの強烈なガウンが忘れられない。得意技「一本足原爆頭突き」にちなんだとされる“原爆キノコ雲ガウン”だ。

 写真は1971年の日本プロレス時代、アントニオ猪木、星野勘太郎とタッグを組んだときのもの。大木の背中にはキノコ雲が立ち上り、写真では陰になって見えないが、左下に原爆ドームがはっきりと描かれている。なんとも挑発的なガウンで、今なら“大炎上”を免れないだろう。

 71年というのはプロレス界にとって、まさしく激動の年だった。12月に猪木が日プロから“クーデター”を疑われて除名処分となり、その一連の流れの中で選手会長に就任したのが大木だ。

 大木は入門が猪木より1年早く、猪木のデビュー戦の相手を務めてプロの洗礼を浴びせている。2人はこの一戦を含め34度にわたってシングル戦を行っており、兄弟子・大木の8勝26分けだった。

 翌72年、日プロを追われた猪木は新日本プロレスを設立。一方の大木は日プロ崩壊後の73年、一度はジャイアント馬場が設立した全日本プロレスに入団するが、待遇に不満を持ち退団する。そして74年10月10日、原爆キノコ雲を背負って新日マットに上がり、猪木の持つNWF世界ヘビー級王座に挑んだ。

 10年ぶりの激突は壮絶なケンカマッチとなり、大木は必殺の一本足原爆頭突きを連発。これを猪木は額を割りながら鬼の形相で耐え切り、最後はバックドロップで激闘に終止符を打った。様々な因縁があっただけに試合後、感極まった2人は号泣しながら抱き合った。

 キノコ雲といえば一昨年11月、K―POPアイドルグループ「BTS」メンバーの“原爆Tシャツ”が波紋を呼んだ。この時、大木のガウンを思い出した昭和プロレスファンもいたのではないか。ただ、戦前の29年に日本統治時代の朝鮮半島に生まれ、戦後の58年に同郷の力道山に憧れて漁船に乗って日本に密入国した大木だ。背負ったものの重みが違う。 (敬称略)

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