“世界の16文”として一時代を築いた故ジャイアント馬場さんの「23回忌追善興行」が来年2月4日、東京・後楽園ホールで開催される。最後となる馬場さんの名を冠した大会のテーマは1982年の同日に全日本プロレス東京体育館大会で行われた“不沈艦”スタン・ハンセンとの歴史的初対決にちなんだ「馬場対ハンセン記念日」だ。

 主催するH.J.T.Productionの緒方公俊代表取締役(33)によると、23回忌大会が馬場さん夫人の故元子さんの最後の夢だったという。「没20年追善興行(2019年2月19日、両国国技館)を開催し、ファンの方と馬場さんの触れ合える場所(東京・新橋のジャイアント馬場バル)を作って故人(元子さん)の夢を実現させた。そして今回の23回忌大会。名前を冠にした今回で最後になります」と説明した。

 2月4日は馬場さんにとって重要な日だ。1982年の同日、新日本プロレスから移籍したばかりのハンセンとPWFヘビー級王座戦で初対決した。王者だった馬場さんは44歳で、ハンセンは32歳。戦前は「馬場は死ぬ」「殺される」という論調がほとんどで、悲観的な予想が圧倒的だった。

 ところがゴングが鳴ると馬場は徹底した左腕殺しと体格を生かしたテクニックでパワーを封印。久々に32文ロケット砲まで飛び出した。最後はラリアートを食らって両者場外に転落。大乱闘の末に12分39秒、両者反則に終わるも、大方の予想に反して「馬場完全復活」を証明した。

 この試合は同年の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」年間最高試合賞に選ばれ、馬場さんにとって最後のベストバウトになった。生前には馬場さんも元子さんも「生涯のベスト3に入る名勝負」と公言している。緒方氏は「あの試合の記念日となる大会にしたい。セレモニーでは2人の激闘を編集したVTRを流し、グッズも販売したい」と語る。ポスターも当時を再現した昭和チックなものに仕上がった。

 大会は昨年2月同様に新日本、全日本、ノアの3団体が協力する見込みで“邪道”大仁田厚(62)も参戦を希望しているという。新型コロナウイルスの影響でハンセンの来日は微妙だが、事態が好転すれば招聘に動く方針だ。「偉大な故人をしのぶ最後の大会にふさわしいイベントにしたい」(緒方氏)。プロレスの“聖地”に最後の「馬場コール」が響き渡る。