【プロレス蔵出し写真館】激レアな猪木の〝初期型延髄斬り〟を初公開 本人にも検証してもらいました

2020年10月18日 10時00分

B・モースに左足の空中回し蹴りがヒット。延髄斬りの原型だ(1976年9月)

〝燃える闘魂〟アントニオ猪木といえば延髄斬りの考案者。延髄斬りの使い手は多かったが、猪木の延髄斬りは美しかった。両手を広げ右足の甲で相手の後頭部を捕らえた時のバランスがよく、何しろ格好よかった。

 だが、実は延髄斬りを開発した当初は左足で蹴っていたことはあまり知られていない。

 猪木が延髄斬りの開発に着手したのは今から44年前、1976年6月26日に日本武道館で行われた「世紀の一戦」プロボクシング世界ヘビー級王者モハメド・アリとの異種格闘技戦用だった(猪木談)。

 試合に先駆けて行われた6月20日の公開練習で、ジャンプして左足で蹴る、いわゆる空中回し蹴りを藤原喜明、木村聖裔(後に健吾)、木戸修の3人を相手に披露したところ、これを見たアリ陣営から「あまりに危険」ということで後頭部へのキック、立ったままのキックが禁止された。結果、延髄斬りは幻に…。

 猪木が試合でこの蹴りを披露したのは9月4日、名古屋・愛知県体育館でのブラックジャック・モース戦。蹴りはヒットしたが特別きれいなフォームではない(写真)。この時はフォールを奪ったわけではなく、つなぎ技。フィニッシュは卍固めだった。

 そして、右足の延髄斬りを初公開したのは77年10月25日、日本武道館で行われたプロボクサーのチャック・ウエップナーとの異種格闘技戦。

 しかし、本紙のアーカイブを検証してみると意外な事実が判明した。

 猪木はジャンプして右足で蹴ってはいるのだがウエップナーには当たっていなかった。本紙では「真空飛び蹴り」と表記され、スネでウエップナーのテンプルを痛打とある。つまり、右足での蹴りは空振りした(かすった?)が左足のスネがヒットした。それでウエップナーはダウンした(決め技は逆エビ固め)。

 では右足の延髄斬りをクリーンヒットさせた試合はいつなのか? 本紙の画像データベースを見直してみると、翌年3月30日、蔵前国技館で行われたマスクド・スーパースターとのNWFヘビー級王座防衛戦だった。この時もフィニッシュは卍固め。延髄斬りでフォールを奪ったのはさらに先だったようだ。

 当の猪木本人は左から右に変えた〝伝家の宝刀〟についてどう答えるのか――。

「左はないと思うな~。左は自分の利き足じゃないから」

 写真があると話すと「あるんですか?へぇ~。そんなの知らない。(モース戦の写真を見て)本当だ!オレは右だと思っていた。自分で忘れていたよ」と笑った。

 あまたのレスラーを倒した延髄斬りの真髄については、次のように語った。

「格闘技の原点でもあるんだけど、蹴りを入れる時のタイミングが大事。首から下がったら効果ないんですよね。それだけのジャンプ力がないとハンマーじゃないけど、上から落とさないといけない。(相手が)まっすぐ立っていればそのまま蹴ればいいんだけど、相手が頭下がったら落としていかないといけない。入れるタイミング、相手が突っ立っているわけじゃないので難しい。その辺は計算とか、自分の持っている得意な部分を使っている」

 やはり利き足のほうがしっくりきたということか…。もっと早く聞いておけば違った答えになったかもしれない。(敬称略)