〝ミスターデンジャー〟松永弘光 日本初の有刺鉄線マッチで驚愕した大仁田厚のプロ意識

2020年10月11日 10時00分

「あの試合からもう31年か…」。執筆しながらつぶやく松永氏

【ミスター・デンジャー松永弘光 この試合はヤバかった】ミスター・デンジャーが東スポに帰ってきた! 数々のデスマッチでプロレスファンに衝撃を与えた松永光弘氏が、中でも“ヤバかった”試合を振り返り、自らつづる新連載がスタート。まずは「これぞプロ」を痛感したこの試合から――。

 

【1989年12月10日 大仁田厚、ターザン後藤組VS松永弘光、ジェリー・ブレネマン】

 忘れもしない。1989年12月10日、後楽園ホール。日本初の有刺鉄線デスマッチとなるこの試合、後にミスター・デンジャーとなりデスマッチレスラーとして知られるようになる私は、誠心会館所属の空手家として参戦しました。

 19歳の時、日本の全てのプロレス団体の入門テストに不合格。一度は諦めたプロレスのリングでしたが、空手家としてプロレスのリングに上がれるチャンスに舞い上がり、有刺鉄線を怖いと思う気持ちより、後楽園ホールのプロレスのリングに立てる高揚感。ビッグチャンスをモノにしたい闘志が勝っていました。

 そもそもこの試合は、日本初の異種格闘技タッグマッチと発表されていたものが、試合の数日前のレセプションで、大仁田さんが「鉄条網を巻いてやってやるよ」と急に有刺鉄線を取り出し、対戦相手の私を含めてそこにいた全員が仰天しましたが、当時の私は特に動揺していませんでした。まだプロとしての意識が芽生えていなかったこのころ、有刺鉄線をリングの周りを囲むためのお飾り、すなわちお客さんを集めるための話題にすぎないと思っていたのです。

 有刺鉄線を試合に使うなどという感覚は全くなく、このリングで普通に試合をするだけだと思っていたのでしたが、試合が始まってみると、大仁田さんや後藤さんは有刺鉄線を全く恐れずに動き回ります。有刺鉄線に当たらないようにリング中央あたりにいるようにしていた私は、そのプロ意識の高さにあっけに取られました。

 そしてザックリと腕から流血した大仁田さんに敗れた私は、試合後から「今度、有刺鉄線デスマッチをやった時は、こんなことをして観客を沸かせよう」と考えるようになりました。この試合を機に、ミスター・デンジャーとして開眼したのです。

 

 ☆まつなが・みつひろ 1966年3月24日生まれ。89年10月6日にFMWのリングでプロレスデビュー。数々のデスマッチで伝説を作り、2009年12月23日に引退試合。現在は現役時代に開店した人気ステーキハウス「ミスターデンジャー」(東京・墨田区立花)で元気に営業中。

関連タグ: