追悼ロード・ウォリアーズ 試合を見た馬場さんの意外な言葉「仕方ねえなあ」

2020年10月02日 14時00分

アニマル(左)が捕らえた浜口にホーク(右)がラリアート(85年3月8日、船橋)

【和田京平 王道を彩った戦士たち】全日本プロレス和田京平名誉レフェリー(65)の連載「王道を彩った戦士たち」。第6回は先日亡くなったアニマル・ウォリアーさん(享年60)がホーク・ウォリアーさん(享年46)と一時代を築いた「ロード・ウォリアーズ」の登場だ。1985年3月に全日本プロレスに初来日して日本中を熱狂の渦に巻き込んだ名コンビについて語る。

 衝撃的だったよね。あの印象的なテーマ曲(ブラック・サバスの「アイアンマン」)に乗ってマネジャー(ポール・エラリング)と3人で走ってきてリングに上がり、2~3分でカタをつけて嵐のように去っていく。ドカーンと打ち上がる大花火だよね。俺はまだペーペーだったけど、レフェリーをやりたくて仕方なかったよ。だって必ず2~3分で終わるんだもん。楽でしょ(笑い)。まあ来日初戦(85年3月8日千葉・船橋大会のアニマル浜口、キラー・カーン組戦)のインパクトは絶大だった。

 あの独特のメークは実は(ザ・グレート)カブキさんが米国滞在時に教えたらしい。2人から「日本で成功するにはどうしたらいい?」と聞かれ、カブキさんがペイントしてあげて、あのキャラクターになったんだって。ずいぶん後になってカブキさんから聞いて
「えっ、そうだったんですか?」って驚いたのを覚えている。

(ジャイアント)馬場さんはウォリアーズの試合を見て「まあ仕方ねえなあ。どうせこれしかできないだろうな。だったらこれで通すしかないだろう」と妙に寛容だった。だから全シリーズ参戦はほとんどなくて、スポット参戦が多かった。接点もジョー(樋口レフェリー)さん以外ほとんどいないんじゃないかな。

 当然シングルマッチは組めないしね。もし仮にシングルをやっていたとしても、あれほどの人気と存在感は出なかった。アニマルとホークとマネジャーで一つの完成されたパッケージだったから。アニマルもホークが亡くなってから、ガクッときたんじゃないかな。

 映画から出てきた怪獣というか、アニメそのままのキャラクターはウォリアーズが最初。その後にも同じようなチームが来日したけど、やっぱり彼らを超えられなかった。細かい技術はないけど、パワーと勢いとスピードだけで日本でトップになったのは彼らだけじゃないの。

 アニマルの弟のジョニー・エース(58=現WWE幹部のジョン・ローリネイティス)は、その後に全日本の常連になったけど、兄貴から日本についてのアドバイスは受けていたはずだよ。でなければ、あんなに正反対のタイプなのに日本で成功するはずがないから。まあ存在感は抜群のチームでしたね。

 ☆ロード・ウォリアーズ 1983年に米国で結成され、85年に全日本プロレスに初来日。オリジナルの合体技「ダブルインパクト(ドゥームズデイ・デバイス)」で連戦連勝した。87年3月にはインターナショナルタッグ王座を獲得。WWF(現WWE)、NWA、AWAの主要団体でタッグ王座を獲得し、90年から新日本プロレスに参戦。パワー・ウォリアー(佐々木健介)を加えたトリプル・ウォリアーズで話題を呼んだ。2011年にWWE殿堂入り。