武藤敬司 ジャンボ鶴田さんを語る「プロレスラーの理想形。戦ってみたかったなぁ」

2020年09月21日 11時00分

武藤は鶴田さんとの不思議な縁について語った

〝プロレスリングマスター〟武藤敬司(57)がレジェンドレスラーたちを語る人気シリーズに「最強」と呼ばれた全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者・ジャンボ鶴田さん(享年49)が登場だ。武藤にとっては同じ山梨県出身の先輩で、不思議な縁も感じていたという。今年で没後20年を迎えた不世出の天才レスラーを天才はどうみていたのか――。

 ジャンボ鶴田さんか…俺、ほとんど面識がないんだよね。レスラーとしては、そりゃあもう、すごかったと思うよ。まず縦横(のサイズ)があって「ディス・イズ・プロレスラー」って感じだよな。プラス、当時の全日本プロレスっていうのは外国人もすごい選手を招聘していたからね。NWAとかAWAとか、向こうの保守本流の団体とちゃんと付き合ってて、そこの王者とかさ。そういう選手と互角以上の体型で真っ向勝負できる日本人レスラーはなかなかいないですよ。

 晩年は三沢(光晴=享年46)とか川田(利明)とか、対日本人というか後輩たちと戦ってね。イメージとしては、若手全員で鶴田さんひとりに向かっているような感じだったよな。

 会って話したのは、たぶん東スポのプロレス大賞のパーティーだったと思う。俺が同じ山梨出身っていうのも知ってくれていて、向こうから話しかけてくれたんだよ。結構長く話したな。何の話をしたかは忘れちまったけど(笑い)。

 でも、鶴田さんのお兄さんと柔道の試合をしたことがあるんだよ。山梨で就職していた時期だから、20歳くらいの時かなぁ。県の柔道の大会でちょうど当たって。見た目がすごい似てたんだ。でかくてさ。みんなが噂してるから鶴田さんのお兄さんだって分かってて、試合をして、ちょっとうれしかった。ミーハーだったから(笑い)。結果? 勝ちましたよ。詳しくは覚えてねえけど。

 ほかにも変なところで接点があってさ。家を買った不動産屋が同じなんだよね。さらに亡くなったウチの女房の親父が建築屋で、鶴田さんの家にちょくちょく入っていたらしいんだよ。鶴田さんやその奥さんと飯も食ったりしてたって。

 でも、一回戦ってみたかったなぁ。長州力がいまだに言うんだよ。「あいつは化け物だった」って。(1985年11月に)60分フルタイム引き分けをやって、長州さんは死にそうだったのに、鶴田さんはケロッとしてたんだってさ。

 戦ったらどんな試合になったか? うーん…。ガタイがでけぇからな。あそこまでってなると前田(日明)さんとか高山(善廣)くらいか。どう崩すかだけど、運動能力もめちゃくちゃ高かったみたいだし、簡単じゃねぇな。だいたい山梨県立日川高校ではバスケやってて、中央大に行ってからレスリング始めて五輪行っちゃうんだよ。考えられねぇよ(笑い)。

 レスラーとして全体的にすべてがそろってるもんね。でかくて瞬発力もあって懐が深くて劣るところがひとつもない。あのでかさで飛ぶこともできて、スープレックスもできて、打撃もできるんだから。プロレスラーのひとつの理想形じゃないかな。

 本当はもっと長く生きてもらって背中を見たかったな。鶴田さんなら「プロレス団体の経営とはこうあるべき」というのを作れたかもしれねぇしな。ただ同時に、団体を作ろうとはしないとも思うよ。そこまで〝プロレスラブ〟じゃないというか、いい意味で割り切ってるんだよな。それがもしかしたら、見る人に何かで伝わってきちゃっていたのかなぁとも思う。

☆むとう・けいじ=1962年12月23日生まれ、山梨県富士吉田市出身。84年、新日本プロレス入門。同年10月5日、埼玉・越谷市体育館での蝶野正洋戦でデビュー。海外でもグレート・ムタとして人気を博すなど、新日本プロレスでは名実ともにエースとして活躍。2002年に全日本プロレスに移籍、社長就任。13年に全日本プロレスを退団し、新団体W―1を旗揚げ。現在はフリー。獲得タイトルはIWGPヘビー、3冠ヘビーなど多数。得意技はシャイニング・ウィザード。188センチ、110キロ。

☆じゃんぼ・つるた=本名は鶴田友美(つるた・ともみ)。1951年3月25日生まれ、山梨県出身。72年ミュンヘン五輪レスリング日本代表。同年10月、全日本プロレス入団。76年、UNヘビー級王座を獲得。83年にはインターナショナル王者、翌年には日本人初のAWA世界ヘビー級王者となった。89年、インター・PWF・UNを統一し、初代3冠王者。92年にB型肝炎を発症してからはリングから遠ざかり、慶大や中大で講師。99年、引退会見。2000年5月13日、フィリピン・マニラで肝臓移植手術中に死去。得意技はバックドロップなど。現役時は196センチ、127キロ。