“狂乱の貴公子”リック・フレアーはアメリカの象徴! 仕事より家族

2020年09月11日 14時00分

鶴田(左)とのNWA王座戦で足4の字を決めるフレアー(1981年10月9日、蔵前国技館)

【和田京平 王道を彩った戦士たち(5)】全日本プロレス和田京平名誉レフェリー(65)の連載「王道を彩った戦士たち」第5回は、“狂乱の貴公子”こと元NWA世界ヘビー級王者リック・フレアー(71)について語る。ダーティーな試合内容ながら、貫禄と豪華さにあふれた希代の名選手の素顔とは――。

 文字通りのアメリカンですよ。アメリカンプロレスの象徴であり、本当の意味で堂々たる最後のNWA世界チャンピオンだった。試合だけではなく、生活そのものも。仕事より
家族や休日が第一。集団より自分。そういう部分は徹底していた。

 1980年代前半に彼がNWA王者だった時なんだけど、夫婦ゲンカの最中に来日しちゃってね。成田空港に着いてすぐ、家に電話したんじゃないかな。奥さんに「今すぐ帰ってこなければ離婚する」って言われたらしく、乗ってきた飛行機にもう一度乗って米国に帰っちゃった(笑い)。

「仕事と私とどっちが大事?」って聞かれて「もちろん君さ」って答えたんでしょうけどね。全日本は「NWA王者フレアー来日」って発表して開幕戦は目前。それでも(ジャイアント)馬場さんは怒るでもなく「仕方ねえなあ、アメリカンだなあ」って葉巻吸ってるわけですよ。米国が長かったから気質をよく分かっていた。

 今だから言えるけど、当時は「夫婦ゲンカのために米国へ帰った」とは言えない。「家族が危篤のため来日中止」と発表になった。(2013年1月大田区大会で)久々に来日した時も突然「ドクターストップがかかった」ってサイン会だけだったでしょ。俺はその時、一時的に全日本を離れていたけど「変わらねえなあ」と思いましたよ。

 でも王者としてはすごかった。絶対に負けない自分のスタイルを持っている。ノラリクラリと歩いては急に反則したり。当時はジョー(樋口)さんがNWA戦を裁いたけど、俺ですら試合を見て「早くいけよ!」って思った。会場やテレビで見てる人はなおさらだったろうね。完全に見る側を手のひらに乗せていた。

 それでジャンボ(鶴田)と戦って「これはかなわない」と思うと、ジョーさんに手を出して反則負けを狙う。あのスタイルならほぼ永遠にベルトは失わない。今のレスラーは誰も対応できないでしょう。適応できたのは全盛期の武藤(敬司)が最後なんじゃないかな。

 でもジャンボや天龍(源一郎)さんとは手が合ったね。特に天龍さんは米国が長くて対応の仕方を分かっていたから。気前の良さもフレアーを見てたからじゃないかな。

 フレアーや(ハーリー)レイスみたいな本物のNWA王者は、日本のどんな田舎でも一流の店に行って、若い選手も呼んでドンチャン騒ぎしてました。71歳でWWEに登場?

 まあ、あの試合内容だったら長生きするでしょう(笑い)。危ない技はしなかったし、受け身もうまかったし。いつまでも元気でいてほしいですよ。

 ☆リック・フレアー 1949年2月25日、テネシー州メンフィス出身。72年12月にデビューし、81年9月にNWA世界ヘビー級王座初戴冠。その後WCWからWWF(現WWE)、WCWと移り2001年にWWE復帰。日本では73年6月に国際プロレスに初来日。78年から全日本プロレス、91年から新日本プロレスに参戦した。08年と12年にWWE殿堂入り。WWEのシャーロット・フレアーは実の娘。得意技は足4の字固め。全盛期は185センチ、110キロ。