【プロレス蔵出し写真館】マスカラスをさがせ!!48年前の〝弾丸島巡りシリーズ〟 漁船に分乗し過酷な船旅

2020年09月06日 11時00分

「ウォーリーをさがせ!」状態のマスカラスとソリタリオ(1972年8月5日、徳之島・亀徳港)

 地元民と観光客の中に溶け込むミル・マスカラスとエル・ソリタリオ。

 さながら昔流行った「ウォーリーをさがせ!」ならぬ〝マスカラスをさがせ!〟状態のこの写真は、今から48年前の1972年8月5日、鹿児島県徳之島の亀徳港でのひとコマだ。

 これは日本プロレスの「ビッグ・ファイト・シリーズ」に参加した2人が、奄美群島を巡った通称〝島めぐりシリーズ〟を終えて、宮崎・延岡へ移動するため地元民や観光客に交じり、鹿児島港行きフェリー「ハイビスカス号」に乗船しようとする場面。あなたは2人がどこにいるかわかりますか?

 この〝島巡りシリーズ〟は2日に奄美大島の名瀬市(現在の奄美市)から喜界島へ渡り試合、翌日3日は名瀬に戻り試合、4日は徳之島で試合。そして5日に鹿児島港に移動して翌日の宮崎・延岡での試合に備え前日入りという強行スケジュールだった。
  
 2日の出発時には思わぬトラブルに見舞われた。一行はマスカラスら外国人レスラーが飛行機、ジャイアント馬場ら日本人はチャーターした貨物船で二手に分かれ喜界島へ向かう予定だったが、貨物船が諸事情で運行できず、日本人は急きょ9トン足らずの漁船を4隻チャーターし移動することになった。

 また、飛行機は定員56名から64名のYS-11(2006年をもって旅客機用途での運航を終了)で、一般の乗客も乗せるため体重制限、荷物の重量制限があり、乗れずに漁船に乗船した外国人選手もいた。マスカラスは飛行機には乗れたのだが、マスクやリングコスチュームが入った荷物は重量オーバーで乗せられず漁船で運ばれた。

 この漁船での喜界島入りはシケで定期便なら2時間半のところ5時間もかかり、荒れた海のしぶきが容赦なく漁船を襲い、選手はズブ濡れ、そしてマスカラスの荷物も水びたしになった。 

 無事到着し、喜界島の町役場の人達に「島の人間でもあんな船には乗りませんよ」とあきれられたというオチもあった。

 それでも、このミニシリーズは大人気で2日の喜界島第一中学校校庭特設リング大会は3700人、3日の奄美大島・名瀬市金久中学校校庭特設リング大会は人口4万人(当時)の名瀬市で5000人の観衆が集まった。

 4日の徳之島町魚津闘牛場特設リング大会は、徳之島初のプロレス大会ということもあり6000人が観戦した(当時の観衆発表より)。 

 そして5日に離島するのだが、ひとりマスカラスが「この船にグリーン席はないのか? 俺はグリーンに乗りたい」とゴネた。

 同行取材していた記者が述懐する。「あの温厚なジョー(=樋口レフェリー、外国人係も兼ねていた)さんが日本語で怒ってたもんな。NY(シリーズに参加していたジート&ベポのザ・モンゴルズのこと)だって文句言わず乗ってるのに、何様のつもりだ!って。マスカラスは格好つけたかったんだよね。追っかけがいたから」

〝仮面貴族〟はわがままだったようだ。(敬称略)