ダイナマイト・キッドの意外な素顔 気難しいようにみえて…手品披露する「お茶目さ」も

2020年08月22日 10時00分

キッドはヘビーのハンセン(左)と互角にやり合った(91年3月23日、後楽園)

【和田京平 王道を彩った戦士たち】 全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(65)の連載「王道を彩った戦士たち」第4回は“爆弾小僧”ことダイナマイト・キッド(享年60)の登場だ。初代タイガーマスクのライバルとして新日本プロレスで一時代を築いた後、全日本プロレスに主戦場を移した名選手の素顔を明かした。

 今のマット界に一番必要な存在だと思う。ジュニアの体でヘビー級と互角に渡り合ったでしょう。全体的に選手のサイズが小さくなり、階級の垣根が消えた今だからこそ、キッドを見たいなと。どの団体でもトップを張れたんじゃないかな。

 ブレーンバスターの速さとか試合内容は革命的だった。技は少ないけどパンチ、キックでも一撃一撃に全身の力が入ってスピーディー。ジュニアのスタン・ハンセンだよね。相手のことなんか構っちゃいない。とにかく自分の技を決めるのが最優先だった。プライドというか我を貫くというか、誇りに満ちていた。でも独善的に見えて、実は相手が受け身を取れるように技を仕掛けていた。まあ、うまかったよ。

 気難しいとか頑固とかよく言われるでしょ。実際は違うんだ。ものすごいおちゃめでさ。よく(リングアナウンサーの仲田)龍と控室に行って遊んだよ。キッドは手品を見せるわけ。手のひらのコインを隠したり、トランプの数字を当てたり簡単なものなんだけど、俺たちを驚かせてはうれしそうに笑うんだ。俺も逆にくわえているたばこの火を消す簡単な手品を見せると、目を丸くして驚いてね。次のシリーズには違う手品を覚えてくるんだ。楽しかったね。

 選手のサイズも大きいし、攻めがいがあるから全日本が性に合ったんじゃないかな。リングを下りるとピリピリしてファンを近づけなかったけれど、簡単な日本語をたくさん覚えていてね。試合中に日本人レスラーが気に入らない動きをすると「アホ」とか「バカ」とか聞こえないようにつぶやくんだ。あれはおかしかったなあ。

(2018年12月5日の死去は)早すぎたね。全力で現役を駆け抜けた。小さな体でヘビー級と戦うんだから、相当無理はしていた。だからハンセンとのシングル(1991年3月23日後楽園のチャンピオン・カーニバル)は忘れられない。デイビーボーイ・スミスとのコンビ(ブリティッシュ・ブルドッグス)ではヘビーとやってたけど、まさかカーニバルに出るとは思わなかったし、試合もハンセン相手にガンガンいって引かなかった。すごいなと思ったよ。キッドが移籍してきた時、三沢(光晴)はまだ2代目タイガーマスクだったから「何だこいつ、タイガーだって?」程度にしか見てなかったんじゃないかな。

 今なら立派な3冠ヘビー級王者として君臨できるでしょう。これから昔の映像を見る人は、そういう観点を持って見てくれたら。短い現役生活だったけど、永遠に忘れられない選手ですね。

 ダイナマイト・キッド 本名トーマス・ビリントン。1958年12月5日、英国ランカシャー州ゴルボーン出身。13歳でレスリングを始め、75年にプロデビュー。86年にはWWF(現WWE)で世界タッグ王座を獲得した。81年4月23日の新日本プロレス蔵前国技館大会では初代タイガーマスクのデビュー戦の相手を務めた。84年に全日本プロレスに移籍し、91年12月に引退を表明するも93年に復帰。18年12月5日、英国内で死去した。必殺技はダイビングヘッドバット。現役時は173センチ、103キロ。