天下の大横綱・輪島が馬場さんの付き人に

2012年03月31日 14時45分

【プロレス記者の独り言:川野辺修】ジャイアント馬場の正式な付き人になった訳ではないが、あの天下の大横綱・輪島が馬場の付き人を務めたことがある。輪島が借金問題でプロレス転向を決意したのは昭和61年(1986年)4月、38歳の時だ。


 ハワイでプロレス修行をスタート。その後、米国本土セントルイスでパット・オコーナーに師事して、場所をノースカロライナ州シャーロッテに移してネルソン・ロイヤルに教えを受けた。


 ガリガリになった体。当時の体重は90キロにも満たない。「最低でも120キロにはしたい。今の鶏がらみたいな体ではお客さんの前に立てない」と輪島は必死で食いまくっていた。たまに輪島の状態をチェックに現れる馬場も「食って大きくなれよ」と励まし、輪島の大好きな和食・中華をご馳走した。


 大相撲界から追放されるような形でプロレス界に飛び込んできた輪島にとって馬場の一言一言は大変ありがたかった。日本デビューは11月1日、故郷の石川・七尾市総合市民体育館と決定していた。相手はあのインドの狂虎タイガー・ジェット・シン。


 馬場にしてみれば年もいった天下の横綱・輪島だけに失敗は許されない思いが強かった。日本デビューの前に実戦経験を積ませようということになり、プエルトリコ遠征を計画・実行した。


 そのプエルトリコで輪島は馬場の付き人を自ら買って出て務める。サンファン近郊のバヤモン、プエルトリコ第二の都市ポンセで輪島は馬場の付き人になる。試合前、馬場のリングシューズを用意し、ガウンをハンガーに掛けていつでもはおって出て行けるように準備した。そしてセコンドにも付いた。


 ポンセの試合後、輪島は馬場とともにシャワールームに入った。そして入念に背中を流した。面白いように馬場の背中から垢がポロポロと落ちてくる。洗っても洗ってもポロポロと落ちてくる。その落ちてくる垢を見て輪島はポロポロと涙を流した。相撲界の師匠である花籠親方(大ノ海)の背中を思い出していたのだ。「馬場さんの背中とオヤジの背中がダブってしまって泣けたよ。俺は馬場さんについていこうと思ったよ」と述懐していたものだ。


 付き人に付くということは付いた人間の一生を大きく左右させることもあるということなのだ。次回は天下の大横綱・輪島が現役の時に付き人に付き、お説教をした人間がプロレス界にいたのである。その話を伝えようかな。

(つづく)

(プロレス記者の独り言・川野辺)

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