1970年7月27日 ザ・ファンクスが来日初戦で初勝利 対戦した猪木を高評価

2020年07月29日 11時00分

猪木(左)とドリーの攻防はファンを熱狂させた

【プロレスPLAY BACK(94)】元NWA世界ヘビー級王者でPWF会長のドリー・ファンク・ジュニアは、79歳にして今なお現役を続ける。昨年11月15日には“白覆面の魔王”ことザ・デストロイヤーの追悼興行(大田区総合体育館)にも駆けつけ、スタン・ハンセン、ザ・グレート・カブキ、歌手の和田アキ子ら各界レジェンドが出席した追悼セレモニーは一番の盛り上がりを見せた。

 ドリーはNWA世界王者時代の1969年11月、日本プロレスに初来日。ジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲と名勝負を展開した。今から50年前の70年7月27日にドリーはテリーを伴い、当時の大田区体育館でザ・ファンクスとして来日初戦を迎えた。

「NWAワールドチャンピオン・シリーズ第1戦は、“荒馬兄弟”ドリー・ファンク・ジュニア、テリー・ファンクが、テキサスブロンコの本性を見せて暴れまくり、日本が誇るアジアタッグ選手権チームのアントニオ猪木、吉村道明を完膚なきまでに叩きのめし、来日第1戦を飾った。ダブルメインイベント第1試合はアジアタッグ王者とテキサス地区ワールドタッグ王者の激突。1本目は猪木が鮮やかなコブラツイストでテリーを切って落としたが、2本目は吉村がドリーとテリーの連続スープレックス(原爆風車投げ)攻勢でKOされてタイに。決勝ラウンドは、孤軍奮闘の猪木が恐怖のツープラトンスープレックス(2人がかりの原爆風車投げ)で叩きつけられ、リング上に大の字で惨敗。荒馬兄弟は満場の大観衆をうならせて来日初勝利を飾った。

 テリーの話『アジアタッグ王者コンビと聞いたがたいしたことはない。猪木はいいレスラー。馬場のほうがでかくて戦いやすい』

 猪木の話『スープレックスのダブル攻撃は腰から背中に電流が走った。勝つためにはもっとラフでいかないと。テクニックでまともに当たるのは得策ではなかった』」(抜粋)

 豪華なシリーズ名の通り、開幕戦の後はタイトル戦のラッシュとなった。3日後の30日大阪ではドリーが馬場のインターナショナル王座に挑戦(1―1から両者リングアウト)。8月2日福岡では猪木がドリーのNWA王座に挑戦(1―1から時間切れ引き分け)。8月4日東京都体育館では馬場、猪木組のインターナショナルタッグ王座にザ・ファンクスが挑戦(2―0で馬場組が防衛)と、歴史に残る名勝負が連続で実現した。

 ザ・ファンクスは翌年12月7日札幌で馬場、猪木組を撃破してインタータッグ王座を獲得するも、これが猪木の日プロ最後の試合で、BI砲最後の王座戦になった。兄弟としての来日試合は、2013年10月27日の全日本プロレス両国大会が最後となっている。もう一度「スピニングトーホールド」に乗ってリングに飛び込む兄弟の姿を見たい――。そう思う方は多いだろう。