狂虎シンが猪木夫妻を路上襲撃!

2009年12月12日 14時29分

 1978年(昭和48年)5月4日、突如として新日本プロレス、神奈川県川崎市立体育館にその姿を現し、日本マットに定着した〝インドの狂虎〟タイガー・ジェット・シン。そこから日本人を叩き、殴り、蹴飛ばし、守護神・サーベルの餌食とし続けた。



 まず第一に狂虎シンの凶刃の被害に遭ったのは、我らが〝燃える闘魂〟アントニオ猪木だった。同年11月5日、東京・新宿の伊勢丹百貨店前の路上で買い物中だったアントニオ猪木、倍賞美津子夫妻(当時夫婦)をシンが襲撃したのだ。この事件を契機に狂虎シンの暴走は止まることを知らずエスカレートしっ放しとなった。



 殴られ、叩かれた記者たちは、その恐ろしさを原稿にした。行間に恐怖感が溢れ、あっという間にプロレス・ファンの間に狂虎シンのクレージーぶり、常軌を逸した行動は浸透していったのである。



 そのころのことであるが、徳島県徳島市で狂虎シンが起こした大騒動は忘れようとしても忘れられない。



 宿舎ホテルから会場へ向かおうとした狂虎シン。守護神サーベルを片手に頭にターバンを巻き、首を斜め40度に傾けて目をしばたき、首を神経質そうに振る、いつもの狂虎シンのポーズだ。そのさまを見ていた迎車タクシーの運転者さんが指をさして笑ったのだ。



 その運転手さんは狂虎シンの凶暴さを知らなかったのが不幸の始まりだった。



 狂虎シンは脱兎のごとく走り出し、その運転手をタクシーから引きずり出すとコブラクロー(頚動脈絞め)で絞め落とし、そのタクシーに乗り込み外人係りだった田中米太郎レフェリーに「ヒヤ ウィー ゴー」「レッツ ゴー」と命令。仕方なしに田中レフェリーはタクシーを動かした。



 体育館に向かったが、その後をパトカー数台が追跡。赤色灯のランプがクルクルと回り、まるで映画のワンシーンのようでもあった。
 次回も狂虎シンについて話そう。
(プロレス記者の独り言:川野辺)