力道山が日本プロレス「ワールド大リーグ戦」で3連覇を飾るも「うれしくない」

2020年07月01日 11時00分

力道山(右)の3連覇をトシ東郷が祝福

【プロレスPLAY BACK(91)=1961年6月29日】新型コロナウイルス感染拡大の影響で大会中止が続いたプロレス界が、興行を再開した。全日本プロレス春の祭典「チャンピオン・カーニバル」は秋に延期されたが、新日本プロレスは無観客で「NEW JAPAN CUP」を開催中だ。

 春の祭典の礎を築いたのは日本プロレスの祖・力道山で、1959年5月21日に第1回大会が開幕した「ワールド大リーグ戦」だった。54年2月19日に日本で初のプロレス国際試合が蔵前国技館で開催され、プロレス人気は日本中に広まったが、57年末からブームは下火になっていた。力道山は打開策として世界中の王者クラスを招聘するリーグ戦を発案。この企画が大ヒットしてプロレス人気が再燃した。今から59年前の61年6月29日、第3回ワールド大リーグ戦優勝者決定戦が行われ、同年からシード扱いとなった力道山がリーグ戦代表のミスターXを撃破。3連覇を飾った。

「プロレス国際試合大阪大会2日目、第3回ワールド大リーグ戦優勝者決定戦が29日、大阪府立体育会館で開催された。王者・力道山対覆面の怪人・ミスターXが対戦するとあって観衆は1万3000人超満員。力道山が1―1の後、反則で辛勝し3連覇の偉業を成し遂げた。

 1本目、前夜にジム・ライト、アイク・アーキンス組に痛めつけられた力道山の右手には白い包帯。傷が痛いのか空手を2発、3発出しても続かず力が入らない。Xはチャンスを逃さずハーフネルソンから凶器を覆面にしのばせ、後頭部へ猛烈な頭突き一発。やすやすフォールして先制した。2本目、力道山は覆面の中から凶器を奪い、ガンガンXを殴りつける。さらには痛い右手を我慢してロープに飛ばし、宝刀の水平打ち一発からボディースラム。わずか1分でタイに持ち込んだ。

 3本目、力道山は空手の乱打、すくい投げで飛ばすが、Xは「ノーノー」とヒザをつく。そして力道山がロープに走ると、セコンドのライトが足を引っ張る。沖レフェリーは厳しく注意するが、この隙にXはアーキンスに凶器をもらい、覆面に入れて後頭部に頭突き。沖はカウント3を入れて一度はXのフォールを認めた。しかしこれは明らかな反則だ。豊登とトシ東郷が猛抗議してファンも「反則だ」と激高。コミッションも反則と認め、沖レフェリーはXの反則負けを宣告した。

 力道山の話『うれしくない。すっきり勝って3度目の優勝者になりたかった。Xからインターナショナルヘビー級のタイトルに挑戦を表明されている7月21日にやるつもりだ』」(抜粋)

 力道山は7月21日、田園コロシアムでXの挑戦を受けて2―0で快勝。12度目の防衛を果たし、Xの覆面をはいだ(正体はビル・ミラー)。リーグ戦は72年まで続き、日本プロレス消滅後は最後の覇者ジャイアント馬場が全日本旗揚げ後の73年4月「第1回チャンピオン・カーニバル」として“継承”した。(敬称略)