“飛龍革命宣言”の藤波 猪木ばりの魔性を発揮

2020年06月24日 11時00分

藤波はドロップキックで長州(右)のラリアートを封じた

【プロレスPLAY BACK(90)】“炎の飛龍”ことドラディションの藤波辰爾(66)は来年5月でデビュー50周年を迎える。1971年5月9日から一度も引退せずに半世紀も現役を貫く偉大な存在だ。2020年初ツアーは10月に延期となったものの、オリジナルアパレルブランド「D.R.G.N」を立ち上げるなど精力的に活動を続けている。

 15年にWWE殿堂入りを果たした藤波が歴史にその名を刻み込んだのは米マジソンスクエア・ガーデンで日本人として初めてWWWF世界ジュニアヘビー級王座を獲得した試合(78年1月23日)だが、日本全国を熱狂の渦に巻き込んだのは“革命戦士”長州力との「名勝負数え歌」だろう。全盛期は82~84年で、85年から全日本プロレスに参戦した長州が87年4月に新日本にUターンした後も抗争は続いた。

 今から32年前の88年6月24日、大阪府立体育会館で藤波が長州とのIWGPヘビー級王座決定戦に勝利している。藤波は4月に沖縄で師匠アントニオ猪木に“飛龍革命宣言”を放ち、世代交代を訴えたばかりだった。

「“ドラゴン”藤波が地獄の底からはい上がり、IWGPヘビー級王座奪回に成功した。額を叩き割られ、青息吐息のなかから猪木ばりの魔性を発揮。18分46秒、大逆転の首固めで3カウントを奪取し、6・26名古屋でビッグバン・ベイダーを迎え撃つことになった。

『猪木超え』の4文字が2人の肩にズシリとのしかかった。まるで両雄がお互いの体を通じて猪木と戦っているようだった。張り手、キック、サソリ固めと長州の猛攻が続くと、藤波は負傷している腰をまた痛めた。そこへ長州のラリアート。絶体絶命! 

 しかし練りに練った長州対策がここで飛び出した。ラリアートをドロップキックで迎撃したのだ。2発目は自爆したが、この必殺技封じが藤波の魔性を引き出す導火線となった。だが長州は場外乱闘からエプロンでラリアート。さらにはブレーンバスターからラリアート。『もう終わりだ』。ファンも長州もそう確信した。その瞬間に飛龍の魔性がよみがえった。ひと呼吸ついた長州に痛烈なドロップキックを一撃。続いて卍固めがガッチリ決まる。この猪木スペシャルは必死に返した長州だが、藤波の逆さ押さえ込み、首固めの連発についに3カウントを聞かされた」(抜粋)

 藤波は2日後のベイダー戦もクリアすると、悲願だった猪木とのIWGP戦が実現する。伝説の88年8月8日横浜文化体育館、60分時間切れ引き分けの一戦だ。猪木相手に防衛を果たした藤波は7度の防衛後、89年6月に爆弾を抱える腰を負傷。長期欠場に入った。

 それでも90年9月に奇跡の復活を遂げ、IWGP王座を巡る長州との抗争は闘魂三銃士が台頭する92年まで続く。猪木の引退試合(98年4月4日)では佐々木健介を撃破し、44歳にして6度目の戴冠という偉業も達成した。当時大学生だった新日本のエース・棚橋弘至が生観戦して涙した一戦である。 (敬称略)