スタン・ハンセン ブルロープ直撃のおばあちゃんにリングを下りて「ゴメンナサイ」

2020年06月19日 11時00分

怒りのハンセンは小橋(右)をブルロープで殴りつけた(95年8月23日、大館)

【和田京平 王道を彩った戦士たち】全日本プロレスの和田京平名誉レフェリー(65)が往年の名レスラーについて語る「王道を彩った戦士たち」。今回は“不沈艦”ことスタン・ハンセンの登場だ。全日本と新日本プロレスでファンを熱狂させたレジェンドの本当の姿とは――。

(1975年9月の)初来日は全然記憶にない。当時はNWA王者が来日していたから、若い選手なんてひよっこ扱いだったんじゃないかな。(77年から新日本でアントニオ猪木と名勝負を展開したが)逆に言えば当時の全日本はスターをつくるのが下手だった。既成のブランドを大事にしたから。その点、猪木さんはスターをつくるのが上手だった。タイガーマスクにしてもハンセンにしても、日本では無名の存在を大スターにしちゃうんだから。

 実は俺、ハンセンが全日本を初めて襲った日(81年12月13日、蔵前国技館)の前の日、偶然に新日本後楽園大会の表彰式でハンセンがリングに立っているのを見たんだよね。だから当日にメインの直前、ハンセンの姿をチラッと見たときは驚いたね。「えっ? 何でいるんだ?」って。

 ハンセンがいなけりゃ(三沢光晴ら)四天王の時代はなかったんじゃないかな。80年代には(ジャイアント)馬場さんやジャンボ(鶴田)、天龍(源一郎)さんとガンガンやってたでしょ。90年代に三沢たちが出てきたら「何だこの小僧ども?」って気持ちだったと思う。逆に「俺の居場所がなくなるのか?」という焦りもあった。

 だから三沢や小橋(建太)にガンガン当たって、四天王も強くなった。俺にもなかなかレフェリーをやらせてくれなかったね。「キョーヘイ? ノーサンキュー」って。ジョー(樋口)さんを信頼してたから。

 毎年全シリーズに出ていたから、当時でも年間1億円は稼いでいたでしょう。俺がやっと握手してもらえたのは(2000年に)三沢たちが出て行った後。「なんだ、お前は残ったのか」って笑いながら握手してくれた。それぐらい怖かった。

 印象に残るのは小橋にブルロープを奪われたら怒り狂って、逆にイスでぶん殴った試合(95年8月23日、大館)だね。小橋の左腕がザックリ切れて骨まで見えているのに、ブルロープで殴り続けてお互いのスイッチが入っちゃって。あれはすごかった。あと三沢たちが出て行った後の大阪だったかな。いつものようにブルロープ回して入場したら、最前列のおばあちゃんに当たって倒れちゃって。

 俺が目で合図したら「フィーッ!」ってポーズ決めた後に、リングを下りて日本語で「ゴメンナサイ」って謝ってた(笑い)。馬場さんがつくった全日本だけど、ハンセンがいなかったらここまで続かなかったかも。まだまだ元気だし、来日したらまた会いたいね。

 ☆スタン・ハンセン 1949年8月29日、テキサス州ノックスシティー出身。NFLで活躍後、73年1月にプロレスデビュー。75年9月、全日本プロレスに初来日。76年のWWWF(現WWE)ではブルーノ・サンマルチノとの試合で名を上げ、77年1月には新日本プロレスに参戦した。81年12月の全日本移籍後はトップ外国人選手として君臨し、2001年1月に引退。16年にはWWE殿堂入り。必殺技はウエスタンラリアート。現役時は195センチ、140キロ。