新日の「赤いジャージー」手にできなかった究極龍

2013年10月06日 16時00分

ベンチプレスに励む破壊王を見つめる究極龍(中央)

【東スポお宝写真館】

 

 写真は1986(昭和61)年3月27日、東京・世田谷の新日本プロレス道場における何げない練習風景の一コマだ。

 

 せっせとベンチプレスに励むのはヤングライオン時代の破壊王・故橋本真也さん。その姿を熱いまなざしで見つめる右側の選手が野上彰(現・AKIRA)、左端のジャージー姿の選手は佐野直喜(現・巧真)、中央の練習生の背後から顔だけのぞかせているのが前田日明らUWF勢との抗争がスタートしたころの藤波辰巳(現・辰爾)だ。

 

 で、中央の見慣れぬ青年が誰かというと、新日本プロレスの練習生だった時期のウルティモ・ドラゴン(浅井嘉浩)だ。練習生として合宿所、道場とヤングライオン勢と寝食や練習を共にしながらも、浅井は「体が小さい」との理由で入門テスト不合格。試合出場どころか正式メンバーとして認められていなかったため、新日プロ伝統の赤いジャージーも支給されるに至らず、自前の練習着で練習に参加していたのだった。

 

 新日プロでのデビューを断念した浅井は87年から単身メキシコに渡りプロデビュー。90年に逆輸入という形でユニバーサル・プロレスに参戦。メキシコEMLLにて覆面戦士のウルティモ・ドラゴンに変身し、SWS崩壊後はWARに所属し、日本とメキシコを往復。米WCWでも大活躍し、97年にはメキシコ国内に後進育成を目的とした月謝制のジムを設立。ジム生を中心に新感覚の団体・闘龍門を旗揚げした。

 

 小柄ゆえに新日プロで入門が認められず、辛酸をなめた浅井だったが、そのころに学んだノウハウを生かし、体の大小に関係なくプロレスラーへの門戸を効率的に開くシステムを構築。現在、日本マット界は新日プロの看板選手であるオカダ・カズチカをはじめ、ほぼ全団体に弟子&孫弟子を含めた「浅井チルドレン」が在籍し一大勢力を占めており、その影響力は計り知れない。名古屋出身、浅井のプロレス人生は現代版の太閤記だ。