マサ斎藤が49年前の東京五輪で初々しき奮戦

2013年09月22日 16時00分

セコンドの指示を仰ぐ東京五輪での斎藤昌典(右)

【東スポお宝写真館】

 

「東京でオレとマサは固い友情で結ばれたんだよ。吉田君」

 

「マサ…? 斎藤でもなく、トミーズでもなく?」

 

 これは、もうすぐ最終回となる朝の連続テレビ小説「あまちゃん」(NHK)の8月21日放送回の一場面。北三陸駅の駅長(杉本哲太)と副駅長(荒川良々)の会話だ。

 

 写真は、そんな国民的人気ドラマでもネタにされる“獄門鬼”マサ斎藤(71)が、49年前の1964年、国民的イベント・東京五輪に出場(フリー・ヘビー級=97キロ以上)した際の一枚。「マグマ大使」の悪者・ゴア様似の風貌で知られる斎藤だが、この時はまだ初々しさすら漂う22歳の明治大学の学生。日本代表チームが着用するジャージーの背中に「JAPAN」ではなく「NIPPON」と書かれているあたりに時代を感じる。

 

 明大入学後、メキメキと頭角を現した斎藤は1962年の全日本選手権で3位(ライトヘビー級=97キロ以下)、翌63年は2位と順位を上げ、東京五輪が開催される64年の全日本選手権(8月=駒沢体育館)ではヘビー級(97キロ以上)に階級を上げ、何とフリーとグレコローマンの両部門で優勝。フリーの日本代表となった。なおグレコのヘビー級代表には、後に斎藤と同じくプロレスに転向する杉山恒治(サンダー杉山)が選ばれた。

 

 五輪本番での斎藤は1回戦を不戦勝、2回戦でスウェーデン選手と引き分け、3回戦で英国のデニス・マックナマラにフォール負けして失格。メダルへの夢は断たれ、明大卒業後の65年4月に日本プロレスに入門した。

 

 斎藤の必殺技である監獄固めは、実はフリースタイルの「足4の字固め」(プロレスの足4の字固めとは別物)が由来。

 

 かつて世界のレスリング界で大流行した必殺技「トルコ刈り」の変型&連係技として知られる。関節技禁止のフリースタイルでは、そのまま前方に体を浴びせてフォールを狙うが、斎藤は脚部に体重を乗せ、固定することで対戦相手に激痛を与える「監獄固め」へと昇華させたのだった。