【龍魂激論】藤波が明かす「飛龍革命」32年目の真相

2020年03月05日 11時00分

沖縄で猪木(左)に世代交代を宣言し、自らの髪を切る藤波。右奥は見守る坂口(88年4月22日)

 ミスタープロレスこと天龍源一郎(70)がマット界のレジェンドと語り合う人気対談「龍魂激論」、今回は来年にデビュー50周年を控える“炎の飛龍”ことドラディションの藤波辰爾(66)が登場だ。1970年に日本プロレスに入門した藤波は、ジャイアント馬場、アントニオ猪木の「BI砲」全盛期を間近で見てきた数少ない存在。対談の前編では今だから明かせる両巨頭の秘話から、あの歴史的瞬間まで語り尽くした。

 天龍:今、握手してやっぱり現役のレスラーだなあと思いましたね。力強い。俺なんか最近は食器しか洗ってないから。

 藤波:いやいや、食器は僕も洗ってますよ。

 天龍:しかし体が厚い。昨年は何試合ですか。

 藤波:約30試合。コンディションを考えたら、ちょうどいい。試合がなくなったらダメ。お客さんに見ていただく体をつくらなければという信念を貫けば、練習は欠かさなくなりますから。

 天龍:いやあ、素晴らしいねえ。ダラ~ンとした体をさらし続けている渕正信(66=全日本プロレス)に聞かせたいよ。「リングに上がる限りは」という信念は新日本プロレスの美学ですね。俺が(アントニオ)猪木さんに勝った時(1994年1月4日東京ドーム)はもう下り坂だったけど、ビシッとコンディションを整えていた。サポーターもテーピングもしていなかった。

 藤波:そうなんですよ。その5年前に僕が60分時間切れで引き分けた(88年8月8日横浜文化体育館)時も、45歳なのに1時間動き続けた。内容も濃かった。驚いたなあ。当時猪木さんはスポット参戦で、翌年には参院選に当選しましたから。誰も見ていないところで仕上げてたんでしょう。

 天龍:あの試合は見ました。藤波さんはもちろん、60分戦い抜く猪木さんのコンディションと試合内容には驚いた。

 藤波:横浜文体は9月に閉館するんだよね。

 天龍:俺も全日本最後の試合が横浜文体だった(90年4月19日のジャンボ鶴田戦)。やっぱり藤波さんとは因縁を感じますね。甲子園の土みたいに、がれきを拾いに行きますか(笑い)。

 藤波:いや、本当に横浜文体は僕らレスラーにとって聖地でした。

 ――お二人には天龍革命と飛龍革命という共通点がある

 天龍:(米ニューヨークの)マジソンスクエア・ガーデンで(WWWFジュニアヘビー級)チャンピオンになって凱旋帰国したり、ジュニアからヘビーに転向したり、すごい選手だと感心していた。70年代後半から猪木さん、坂口(征二)さんと3本柱で全盛期を引っ張っていた印象ですよね。前から聞きたかったんですが、飛龍革命宣言(1988年4月22日の新日本プロレス沖縄大会後の控室で、藤波が猪木に現状の改革を訴えたことからスタート。チャンスがないことに不満を持った藤波は「何年これが続くんですか?」と問い詰め、猪木も「だったらぶち破れよ。遠慮なんかするな」と応戦。藤波が師匠の頬を張り返したシーンは、歴史的な名場面として語り継がれている。さらに決意を示すために藤波は、ハサミで自らの前髪を切った。なお、藤波の言葉が聞き取りづらかったため、お笑い芸人がネタにすることも)の真意は何だったんですか?

 藤波:あの時、控室で猪木さんに向かっていった時、救急箱を蹴飛ばしちゃって。偶然にハサミが出てきたから思わず手に取ったんですよ。猪木さん、刺されると思って「おい、やめろ」って。その後、僕が自分の髪を切ったら、刺すのを制止しようとした坂口さんがガクッと肩を落としていました(笑い)。でもあの行動がなかったら横浜文体の試合は実現しなかったでしょうね。

 天龍:当時の全日本でそんなこと言ったら馬場さんに「嫌なら辞めていいよ」と言われて終わりですよ。聞いてみないと分からないもんだなあ。

 ――藤波選手はそのジャイアント馬場さんとも接点がある

 藤波:日本プロレスに入った時(70年)は2人の全盛期ですから。温厚な方だった。僕は猪木さんの付け人。馬場さんの付け人は同期の先輩が務めていたので、旅館の風呂場で背中を流してじっくり馬場さんの体を目に焼きつけました。とにかくでかかった。「猪木の付け人か。頑張れよ」って声をかけてもらったくらいかなあ。

 天龍:その後、道を別にしたけれど、やっぱり馬場さんと猪木さんは当時から心の奥深くでつながっていたという感は強いですよね。

 藤波:猪木さんは常に馬場さんを立てて一目置いていた。力道山先生は年功序列というか、2人の立場をよく考えていたと思います。馬場さんのあの大きさはまさにプロレスの象徴だった。それを外敵から守り、サポートする猪木さんという構図かな。お互い団体を旗揚げしてからは、近づきすぎるとプロレス界が「なあなあ」になるからと考えて、あえて距離を置いてたんでしょう。

 天龍:選手たちはお互いに負けちゃいけないとバチバチだった。(東京スポーツ新聞社制定)プロレス大賞授賞式でも壇上の右と左に分かれて。

 藤波:日プロ時代の先輩にあいさつする程度。口をきいちゃいけないという緊張感が張り詰めていた。今からは想像もできないけどね。

 天龍:SWS(90年5月設立、92年6月活動停止)ができてから2人の考えが変わってきたんじゃないか。プロレス界を守ろうという意識かな。

 ――長州力という存在も2人には欠かせない

 藤波:僕はずいぶん前から天龍、長州、藤波の3人は一つの魂と感性でつながっていると思っていたんですよ。

 天龍:それじゃあ、長州選手のお話をゆっくりお聞きしましょうか。(後編に続く)

 ☆…ドラディションは4月17日の東京・後楽園ホール、同19日大阪南港ATCホールの2大会で2020年初ツアーを開催する。後楽園のメインは藤波、天山広吉、小島聡組VSグレート・ムタ、白使、KAZMA SAKAMOTO組。大阪のメインは藤波、武藤敬司、越中詩郎組VSヒロ斉藤、天山、小島組(特別レフェリーは蝶野正洋)と、いずれも豪華な顔ぶれが揃った。