【天龍源一郎vsレジェンド対談「龍魂激論」(3=前編)】ミスタープロレスこと天龍源一郎(70)がマット界のレジェンドと語り合う「龍魂激論」は、ついに“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(76)が登場。新日本プロレスの1994年1月4日東京ドーム大会以来約26年ぶりに、本紙で“激闘”を繰り広げた。猪木氏の永遠のライバルで天龍の師匠でもある故ジャイアント馬場さんから、現在のマット界で大きな話題となったあの男の問題発言まで、“歴史的再戦”の詳細を前後編にわたり一挙公開する。

 ――お二人には馬場さんという共通項がある 

 猪木:優しかったですよ。5歳違うし、俺は17歳で入門して、きょうだいも多かったから兄貴のような感じで。でも今でも一番嫌なのは、年に1回は必ず馬場さんに間違えられること。今年も東北の神社でおみくじを引いて「大吉」が出たんだけど(近くにいた)おばあちゃんが「あっ、馬場さんだ」って。あれは参ったなあ(笑い)。

 天龍:何だかんだ言っても、当時の全日本プロレスの選手は、みんな猪木さんのまねをしていましたよ。僕も延髄斬りや卍固めを使わせていただいた。当時世間を相手に戦っているレスラーは猪木さんしかいなかったんですよ。馬場さんは(1970年代に)猪木さんが声を大にしてプロレスの存在を主張してくれたことに対しては、深く感謝していたと思います。

 猪木:(90年代末期に)最後にホテルオークラで会った時に「お前は好きに生きられていいよなあ」と言われたのを覚えている。当時はその日その時を生きるのが精一杯だったんですけどね。

 ――猪木さんは力道山にブラジルでスカウトされ、天龍さんは力道山がいた二所ノ関部屋に入門

 猪木:おやじ(力道山)が亡くなる直前(63年)だったかな。付け人をやっていたので自宅に呼ばれたら、当時の高砂親方(元横綱前田山)がいらっしゃった。当時では一番の高級酒・ジョニ黒を何杯も一気させられてね。親方が「こいつ、いい顔してるね」と褒めてくれたら、おやじがうれしそうに「そうだろう、そうだろう」と笑ってくれたんですよ。付け人していても毎日殴られてばかり。「頑張れ」なんて言ってくれるわけがないし「お前なんてブラジルへ帰れ」と罵倒されてましたから、笑顔を見せてくれたのが本当にうれしくて。あの瞬間があったから、ここまでこれたんじゃないかな。

 天龍:それはいいお話です。

 猪木:後日聞かされたけど、その時に「一度相撲部屋に預けよう」という話になっていたらしいんだ。

 天龍:僕は63年入門ですから、本当に猪木さんが相撲に入られていたら同期だったわけですね…。でも猪木さんの身長(190センチ)と広い肩幅、関節の柔らかさを考えたら、ものすごい関取になられていたと思いますよ。千代の富士(元横綱)をひと回り大きくしたような筋肉質のかっこいい力士ですね。引き込みの力で相手をガーッとねじ伏せたでしょうね。

 ――新日本プロレスのオカダ・カズチカ(32)が「今一番気になっている人」として猪木さんの名前を挙げた

 猪木:名前を出されても具体的なものを提示されなければ答えようがない。マイクパフォーマンスはプロレスにとって大事なことだけど、もう俺は全然違うレベルにいるし、プロレスには興味がないんですよ。

 天龍:確かにあの発言は驚きました。

 猪木:どんな世界でも、1人スターが出るといっぺんに変わっちゃいますからね。(オカダには)そういう存在になってほしいなという気持ちはありますよ。時代なんて逆戻りできないから一瞬一瞬が勝負なんだよと。

 天龍:オカダは僕の引退試合(2015年11月15日両国国技館)の相手を務めてくれたんですよ。あくまで想像ですけど「棚橋(弘至)は新日本の低迷期を支えてくれた。ならば今のオカダ・カズチカは何をしているのか」というファンからの問いかけに対するアンサーのつもりだったんじゃないですかね。「今の俺は、アントニオ猪木という存在を超えようとしているんだ」というメッセージのつもりだったと思いますよ。水面下でどうこうするとか、生ぐさい部分は全然ないと思う。そういう駆け引きをする男ではない。プロレスラーの生きざまを貫くための決意表明として、猪木さんの名前を出したと思います。

 猪木:正直プロレスの話はあんまり好きじゃない。引退した時(98年4月4日)に身を引いたので。昨年は女房(田鶴子夫人)に先立たれ、俺自身も体がボロボロだった。でも、墓場に入るまで戦い続けることが人生なのかなと思えてきた。まあ、3月にはでかい発表をしますよ。

 ――久しぶりに猪木さんの前向きな言葉を聞きました

 猪木:だけど選手の(引退後の)保障制度だけはしっかりつくり上げておけばよかったなと思う。あとは頼みますよ、ムフフッ。

 天龍:分かりました。僕らの世代で(制度の確立は)引き受けます。(続く)