東スポOBでプロレス大賞選考委員を務める門馬忠雄氏(81)が特別寄稿。プロレス大賞授賞式(16日)に出席したタレント、山田邦子(59)の父への思いをつづった。

 オリンピックイヤーの2020年は特別な年だ。筆者にとっては1964年の東京五輪と、20~21世紀をまたぐ2度目の五輪観戦となる。現場第一を貫いて57年、いまだに五輪への思いが強い。

 授賞式パーティーで山田邦子さんとあいさつを交わすたびに、彼女のお父さん、山田芳美氏(故人)の姿が重なる。筆者の水泳取材における恩人、忘れがたい人なのだ。入社2年目、63年のことだ。駆け出しの記者はボクシング、一般スポーツ担当だった。60年4月創刊の東京スポーツはまだ、東京運動記者クラブに加盟していなかった時期。筆者は、どこの競技会場に行っても肩身が狭く、記者クラブのペンバッジが水戸黄門の印籠のようにまぶしかった。

 東京国際スポーツ大会の予備取材のために、千駄ヶ谷で行われた水泳競技大会に出向いた。その報道陣受付でペンバッジなしの筆者に「名前の知られていない新聞社でも、仕事することは朝毎読さんと一緒。空いていたらどこの席でもいいから取材してください」と親切に対応してくれたのが邦子さんのお父さんだった。後光が差すほどにうれしかった。当時は日本水泳連盟の広報担当、立大水泳部OB、勝村建設勤務。大柄で怖い顔だったが、物腰の柔らかな人だった。

 72年の札幌冬季五輪にも取材に行ったが、東スポで冬季五輪の初取材は筆者だった。1か月近く札幌に滞在、その足で3月6日、大田区体育館の新日本プロレス旗揚げ興行に駆けつけた。オリンピックには私の青春グラフィティがいっぱい詰まっているのだ。