ダンプ松本 父の死。そして50年目の和解

2020年01月03日 16時30分

殺したいほど憎んだ父・五郎さんとは逝去前に奇跡の和解を果たした

【ダンプ松本の壮絶人生「極悪と呼ばれて」:連載15】若い時期に放蕩の限りを尽くし、大好きな母(里子さん=86)を泣かせ続けた父(五郎さん=享年87)を殺したくて女子プロレスラーを目指したことは、最初に話した。ものごごろついた時から父は憎悪の対象でしかなかった。

 5年前までは埼玉の実家に帰っても、父とはひと言も話さなかった。私と妹と母が食事を始めると、雰囲気に気づいた父は自分のお皿を持って隣室に行ってしまう。妹は普通に話していたが、私は絶対にそんな気持ちにはなれなかった。父が病に倒れるまでは。

 2019年4月、父が肺炎で入院した。お医者さんからは「持ってあと1週間です」と告げられた。この言葉を聞いた瞬間に、55年間の憎悪は消えてしまった。そんなもんだよな、人間なんて。結局はたった4人しかいない家族だ。父への態度は優しいものへと一変した。

 そこから父は奇跡的な体力で病魔と闘い続けた。容態が持ち直すと、深谷市内の施設に入り、ほぼ毎日、私と妹は交代で病院へ通った。生まれて初めて弱った父にカレーパンを食べさせてあげたりもした。55年ぶりに写真も撮った。父とのツーショットには、信じられないほど無邪気な笑顔を浮かべる自分がいた。
 
 私はただひたすら「お父さん、長生きして」と祈り続け、素直に「頑張りなよ」と肩を叩いて励ますようにもなっていた。松本家長女・香に戻っていたわけだ。

 しかし87歳の体に病魔は重くのしかかっていた。8月になると病状が悪化して再入院。施設で血便が出たためだった。1度目の入院は日赤病院で、再入院先は深谷市内の総合病院だった。葬儀後に分かったんだが、遺骨の中から小さなクギが出てきた。入院当時、母は医者から「胃の中にクギがある」と言われたらしいが、今でも施設か総合病院の医療ミスだったのではないかという疑惑が消えない。同時にそんな大事な点を追及できなかった自分にも、悔いが残っている。

 そして2019年8月7日、父はとても安らかな顔のまま、眠るように天に召された。享年87。大往生だった。

 ごく近い親族だけで葬儀をすませ、父の遺骨を拾い骨壷に納めた。だけど私の胸からは一点の後悔が消えなかった。あれほど殺したいと思っていたはずの父を、文字通りこの手で葬ってやったのに。達成感なんて全然なかった。

 父は私に、医療ミスの疑いを解決してほしかったんじゃないのだろうか。いや、それは違う。やっぱり安らかに眠ってくれたから幸せだったんだ。――その葛藤は葬儀後から現在に至り、結論はいまだに出ていない。だけど母と私と妹、残された家族3人が祈り続けていれば、きっと笑って一周忌を迎えられるんじゃないかな。最近はそう考えられるようになってきた
 
 斎場から出ると、煙突からは父の遺骨を焼いたとおぼしき真っ白な煙が、雲ひとつない真夏の青空へとまっすぐに突き抜けていき、やがて空の中へ消えていった。身を焦がすような灼熱の太陽とセミの声。私は父のトラックの助手席に乗せてもらった7歳の夏休みの時のように、ただひたすら無言で青空を見上げていた。そしてこれまでは決して出てこなかった言葉が、胸を貫いていた。
 
 お父さん、お父さん。

 ごめんね。

(構成・平塚雅人)

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