3月7日に亡くなった白覆面の魔王ことザ・デストロイヤーさん(享年88=本名リチャード・ベイヤー)の追悼大会が15日に東京・大田区総合体育館で開催され、セミでは性悪王こと鈴木みのる(51)と全日本プロレスの暴走男・諏訪魔(42)が、約9年ぶりにタッグ戦で激突した。

 両者の遺恨はかなり根深い。諏訪魔は2004年10月に全日本でプロレスデビュー。一度は悪の色に染まるも、4年後の08年からは王道マットを変えるべく、新世代の旗手として奮闘を続けていた。そこへ風のようにフラリと現れて王道マットに初参戦し、全てを破壊したのがみのるだった。

 最後の対戦となった10年8月29日両国国技館大会では、諏訪魔が当時王者だったみのるから3冠ヘビー級王座を奪還。その後、みのるは再び風のように全日マットを後にして、新日本プロレスに戦場を移している。遺恨はそのまま闇に葬られて永遠に接点はないと思われていたが、諏訪魔が今回の追悼大会を決戦の場に指定したことで、まさかの遺恨決着戦が実現した。

 試合前から異様なまでの殺気を放って周囲に誰一人として寄せつけなかったみのるは、通路で私語を続けモラルすら知らない一部マスコミを恫喝。殺伐さをリングに持ち込んで諏訪魔の登場を待った。みのるはデビューから全日本一筋を貫く太陽ケア、諏訪魔はW―1の近藤修司を従えてリングインした。

 開始からみのると諏訪魔が火花を散らす。お互いがコーナーに押し込んでのエルボー合戦。髪の毛をつかみ合って罵倒し合うなど、とても50歳と40歳を過ぎた大人同士とは思えない攻防を展開する。

 試合権がケアと近藤に移っても、場外で諏訪魔がイス攻撃を仕掛けるとみのるも応戦。観客席になだれ込んで果てしないケンカが続いた。ここで優位に立ったみのるは勝手にゴングを鳴らすなどもはや収拾がつかない。

 その後に試合権を得たみのるはコーナーの諏訪魔にキックを放つと、近藤の右腕をタランチュラ式アームバーで締め上げる。ここで怒りモード全開に突入した暴走男はフライングエルボー。しかし性悪王も顔面への蹴り連打、エルボーで一歩も引かない。諏訪魔組の連係をあざ笑うかのようにかわして舌を出すと、代わったケアがカウンターのラリアート。10分を過ぎた段階でようやく試合はタッグ戦の様相を呈してきた。

 だが諏訪魔は敵軍をダブルチョップで蹴散らすと、ケアにバックドロップ。逆にケアはバックを取ると背後からスリーパー。同時にみのるも近藤にスリーパーを決めて絞殺刑の競演を披露した。

 最後は諏訪魔がバックドロップから、重圧感抜群のドロップキックをはさんで再度の岩石落とし弾。9年ぶりの遺恨戦を制した。ゴングが鳴らされノーサイド…となるはずもなく、試合後もみのると諏訪魔はパートナーを無視してリングの内外で殴り合いを続けた。この2人、大人げないところが最高だ。

 バックステージに戻っても2人の興奮は収まらない。みのるは「すごい試合でした」とテレビのアナウンサーに問われると、目をかっと見開いて正面からにらみつけ「何がすごかったのか、400字詰め原稿用紙30枚以内にまとめてこい!」とからみついたから始末に負えない。

 さらには「人を殴るのに理由なんていらねえんだよ。気に食わねえやつは殴るだけだ。たとえばオメーみたいなやつとかな。俺の横をすれ違って横目で見ただけでも殴る理由になるんだよ!」と吐き捨て大田区の闇へ消えた。

 一方、勝利こそ決めたものの不完全燃焼に終わった諏訪魔は「クソッ、全然もの足りねえよ。生意気なんだよ、あのヤローは。完全に潰してやるよ。出てこいよ。待ってるぞ、オイッ」と声を荒らげ、再戦を訴えた。火種はくすぶったまま、9年ぶりの激突は幕を閉じた。永遠に修復不可能の両者に第3ラウンドはあるのか――。