新間寿氏が明かす 41年前「藤波WWWFジュニア王座奪取で半殺しの危機」

2019年09月13日 11時00分

藤波がエストラーダ(右)相手に初公開した飛龍原爆固め(78年1月23日)

【過激な仕掛け人・新間寿氏の悠久のプロレス史】元新日本プロレス専務取締役営業本部長で、今年のWWE「ホール・オブ・フェイム」のレガシー部門で殿堂入りした新間寿氏(84)がマット界を振り返る「悠久のプロレス史」。今回は“炎の飛龍”藤波辰爾(65)の登場だ。ドラゴンブームの発端となったのが、1978年1月23日に米ニューヨークの“格闘技の殿堂”マジソンスクエア・ガーデン(MS・G)でのWWWF(現WWE)ジュニアヘビー級王座獲得。歴史的快挙に至った経緯を大激白する。(随時掲載)

 新間氏が初めて藤波(当時は辰巳)と会ったのは1971年の日本プロレス時代。アントニオ猪木のもとを訪れた時だった。坊主頭で体の細い少年が猪木から1000円を渡され、お使いでばんそうこうを買いに行った。おつりの700円をもらい、喜ぶ姿が印象に残っている。

 新間氏:猪木さんは「なんで藤波を付け人につけたのかっていうと、いつも視線を感じるから」と言っていた。それくらい気を使ってくれるということ。だから(72年に)新日本プロレスを旗揚げした猪木さんについていったからね。

 藤波が大ブレークを果たしたのが、78年のMS・GでのWWWFジュニア王座獲得だ。これは新間氏が数年前から種をまいた成果だった。74年のNWA総会でWWWFのオーナー、ビンス・マクマホン・シニア(故人)を紹介された。WWEの現会長、ビンス・マクマホン氏(74)の父親だ。

 新間氏:力道山先生はロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムには上がったけど、MS・Gには上がれなかった。MS・GはWWWFという団体がやっている。だからWWWFの代表を紹介してくれないかと。シニアは学者やビジネスマンとしての感覚を持った人だった。

 すぐに「あなたのところの選手を紹介してくれ」と依頼し、日本に招待。来日したマクマホン・シニア夫妻は新宿の京王プラザホテルに宿泊した。だが用意されていた部屋は一般ルーム。怒った新間氏は「すぐに41階の特別室を取れ」とスイートルームに変更した。

 新間氏:「1週間ここに泊まってくれ。何でもサインしてニュージャパンにつけてくれ」と言った。そうしたらハグしてくれて「こんなにうれしいことはない。これから選手のことは何でも言ってくれ」と。人間同士の付き合いだよね。

 ここから新日本に次々と選手が来るようになった。一方の藤波は74年12月にカール・ゴッチ杯で優勝し、欧州、米国、メキシコへ武者修行に旅立った。ある時、マクマホン・シニアから「MS・Gに出す選手は誰がいいか?」とオファーが届いた。新間氏が藤波を推薦すると、休眠していたWWWFジュニアのベルトが復活し、タイトル戦開催が決まった。

 新間氏:ぱっとひらめいたのが藤波だった。日本プロレスの「ワールドリーグ戦」に出た中に、ジュニアヘビー級のダニー・ホッジがいた。レオ・ノメリーニというルー・テーズの九百何連勝(936連勝でストップ)を阻んだ選手と、五分五分の試合をしたんだよ。あれを見て、ジュニアヘビーを日本で引き継ぐのは藤波だと思ってね。

 試合の3日前からMS・G前のホテルに入り、藤波と合流したが、新間氏は不安ばかり。試合当日は付きっきりで「大丈夫か?」と繰り返した。次第に藤波もナーバスになり「黙っていてください」と最後は控室から追い出された。

 カルロス・ホセ・エストラーダとのタイトル戦は見事、藤波の勝利。フィニッシュホールドは初公開のドラゴンスープレックスホールド(飛龍原爆固め)だった。試合前に「俺が知らない技くらいあるだろ」と言った新間氏の要求にも応えてくれた。控室にはマクマホン・シニアも祝福に訪れた。ただし、外国人選手の控室は不穏な空気が流れていたという。後日、新間氏が聞いたところによると「あんな危険な技を使うなんてレスラーの風上にも置けない。もしエストラーダがケガをしたら藤波と試合をする人間はいなくなる。半殺しにしてやれ」という声もあったそうだ。

 ヘビー級転向後の82年8月30日に藤波は、MS・Gでジノ・ブリットを破りWWFインターナショナルヘビー級王座を獲得。この際に藤波は後に夫人となる伽織さんとその両親も連れていっていた。ここで新間氏はサプライズを用意。マクマホン・シニアに頼み、試合後に大観衆の前で伽織さんを紹介してもらったのだ。今年4月、新日プロは初のMS・G大会を開催した。その41年前に同団体で初めて“聖地”に上がり、道筋をつくったのが藤波だった。

 新間氏:MS・Gは新日本プロレス発展の礎を築いてくれた場所だった。藤波は、私に幸福と希望の明かりをともしてくれた選手でした。

☆ふじなみ・たつみ 本名・藤波辰巳。1953年12月28日生まれ、大分・国東市出身。71年5月9日、日本プロレスでデビュー。72年、アントニオ猪木の新日本プロレス旗揚げに参加。ドラゴンブームや長州力との“名勝負数え歌”で日本全国を沸かせた。88年5月にIWGPヘビー級王座獲得。99年新日プロ社長に就任。2006年6月に退団して08年にドラディション設立。15年にWWE殿堂入りを果たした。長男はプロレスラーのLEONA。183センチ、105キロ。