【プロレスPLAYBACK(1979年8月26日)】40年前の夏は今年以上に暑い夏だった。26日には頸髄完全損傷でリハビリ中の帝王・高山善廣の支援大会が開催され、後楽園ホールには帝王の復活を願う大コールが渦巻いた。

 高山は4月の本紙インタビューで「後楽園のスケジュールを見て8・26が空いてるって知ったら、当時のプロレス小僧としてはその日を選ばないわけないじゃん」と語った。断るまでもなく東京スポーツ新聞社創立20周年記念「プロレス夢のオールスター戦」である。ちょうど40年前の1979年8月26日、日本武道館で史上初のオールスター戦が開催され、全国のプロレスファンを熱狂させた。本紙は1面から3面までをぶち抜いて全9試合を詳報している。

 1面は約8年ぶりに再結成されたジャイアント馬場とアントニオ猪木のBI砲。同戦はこの欄で一度、取り上げているので、今回は第7試合に焦点を当てたい。新日本プロレスの藤波辰巳(現辰爾)、全日本プロレスのジャンボ鶴田、仮面貴族ことミル・マスカラスが最初で最後のトリオを組んだ夢マッチだった(対マサ斎藤、タイガー戸口、高千穂明久組)。

「“飛行トリオ”が見事な編隊飛行で鮮やかな勝利を決めた。マスカラスの突然の造反で内部分裂の危機を抱いていた飛行トリオ。注目のうちにゴングが鳴った。しかし心配は無用だった。戸口のノド元にヒジ打ちを炸裂させた鶴田がロープに振る。そして待ち構えていたようなトリプルロケット弾で戸口を吹き飛ばした。この後、斎藤がバックドロップをヒットさせ、マスカラスを羽交い締め。戸口がタックルに出ると高千穂も続いたが、マスカラスが左に逃げたため、斎藤と正面衝突。斎藤は大の字だ。ここでマスカラスが高々と飛んでフォール。飛行トリオが“高さ”で勝利をものにした」(抜粋)

 3面に大きく掲載されたドロップキックの競演はマット界の歴史に刻まれ、長く夢の象徴として語り継がれた。トリオ結成は最初で最後となり、鶴田と藤波の一騎打ちは、結局実現しないままに終わった。しかし夢は夢だからこそ、永遠に美しさを失わない。3人の競演は、初のオールスター戦だからこそ実現した「真夏の夜の夢」だったのだ。あの夏、奇跡は確かに起きた。今度は復活を目指す帝王が、奇跡を起こす番だ。(敬称略)