「なんだ、フツーじゃん」。駆け出しのころ、記者が北尾さんと初めて話した際の率直な感想だ。

 北尾さんといえば、角界では部屋のおかみさんを蹴っ飛ばしたとか、プロレス入り後も数々の不穏当発言を放ってトラブルを起こし続け、“問題児”のレッテルを貼られていた。正直に言えばビビりながら声をかけたのだが、話しぶりはいたってノーマル。新米記者にも特段、横柄な態度を取ることはなかった。

 1995年5月には久しぶりに新日本プロレスに参戦。猪木さんと組んで長州、天龍組とタッグ戦という注目&因縁のカードが組まれた。記者はカード決定後に成田空港で北尾さんに話を聞いたが、いつもと違って歯切れが良くない。どうしたんですか?「このカードを実現させるために、いろいろな人が時間をかけて動いてくれたんだ。いろんな事情があるんだから、そんな軽々しいことは言えないんだよ」などと、厳しい口調で注意された記憶がある。

「いろんな事情」に配慮するなんて…大人としてはめちゃくちゃフツー。北尾さんからそんな言葉が出てくるとはある意味、衝撃的だった。現役引退後のある時には、神社の境内で北尾さんを見かけた。奥様らしき女性と仲良く手をつないで歩いていた。ひと際目立つ体の大きさを除けば、どこにでもいる幸せそうなカップルだった。

 世間の見方は「問題児が数多くの経験を経て人間的に成長」というところだろう。でも人はそんなに簡単には変われないはず。北尾さん自身にも問題はあったろうが、周りも北尾さんを問題児としか扱わなかったことが悲劇の始まりではないか。北尾さんの訃報に接して、そんな思いがフツーに湧いてくる。合掌。
(運動部デスク・初山潤一)