北尾さん「一度も優勝なく横綱」が昇進基準の厳格化のきっかけに

2019年03月30日 16時30分

86年秋場所での横綱土俵入り

 大相撲の第60代横綱双羽黒で、プロレス、格闘界でも活躍した北尾光司氏が2月10日午前7時30分、慢性腎不全のため千葉県内の病院で死去していたことが29日、分かった。55歳だった。

 北尾氏の死去は妻の淑恵さんが明らかにした。腎臓を患い、2013年から闘病生活を送っていたといい、故人の生前の希望で2月中に家族葬が執り行われた。近年、連絡をとっていた関係者はほとんどおらず、今回の死去もなかなか確認ができない状況だった。

「異端横綱」「未完の大器」として角界の歴史に名を刻んだ北尾氏は、1979年春場所に初土俵。同期には後の横綱北勝海(現・八角親方=日本相撲協会理事長)、大関小錦(KONISHIKI)らがおり「花のサンパチ組」と呼ばれ、活躍した。

 199センチの長身でスケールの大きい相撲を取り、84年秋場所で新入幕を果たすと85年九州場所後に大関に昇進。86年名古屋場所後に横綱に昇進すると、部屋の先輩横綱双葉山と羽黒山にちなんで双羽黒に改名した。この昇進前の2場所は優勝次点(12勝)、優勝同点(14勝)で、横綱審議委員会からは一度も優勝経験がないことを理由に反対意見も出た。それでも一人横綱だった千代の富士の対抗馬として第60代横綱に昇進した。

 当時としては22歳11か月での横綱昇進は昭和以降で4番目の若年記録。しかし、昇進後は故障や不振に苦しみ、師匠の立浪親方(元関脇羽黒山)と対立して失踪騒動を起こし、87年の大みそかに電撃引退。一度も賜杯を抱くことなく横綱在位8場所(番付上は9場所)で力士人生を終えることになった。

 双羽黒が昭和以降2番目の短命に終わったことが契機となり、その後は横綱昇進の条件が厳格化。大関で2場所連続優勝、または準ずる成績が求められるようになった。