デビューから見続けた小佐野景浩氏が緊急寄稿 お騒がせ男・北尾さん意外な素顔

2019年03月30日 16時30分

90年1月。プロレスデビュー会見で。右は新日本プロレス、坂口征二社長(現相談役)

 大相撲の第60代横綱双羽黒で、プロレス、格闘界でも活躍した北尾光司氏が2月10日午前7時30分、慢性腎不全のため千葉県内の病院で死去していたことが29日、分かった。55歳だった。22歳の若さで横綱に昇進して将来を嘱望されたが、部屋のトラブルなどで廃業してからは波瀾万丈の人生を送った。“お騒がせ男”をプロレスデビューから見続けたプロレスライターの小佐野景浩氏が緊急寄稿。世間の印象とは違う一面を見せていたエピソードを明かし、故人をしのんだ。

 北尾さんはスキャンダラスな面がクローズアップされるが、取材を始めた当初は、人からどう見られているかをすごく気にする人という印象だった。

 長州力に暴言を吐いて新日本を解雇になり、1990年11月に相撲の先輩の天龍さんのつてでSWSに入団したころは「天龍さんは真っ暗な洞窟でもがく俺に見えた蜘蛛の糸でした」と、特に礼儀正しくしていた。同年12月19日にホテル・サムソン箱根での忘年会でもほとんど酒を飲まずに存在感を消して「誰にも絡まれなくてよかった」と言っていたのを覚えている。

「変人に見られるのが嫌なんです」と、日頃は自分を抑えている分、何かのきっかけで感情が爆発した時には歯止めが利かなかったのかなとも思うし、一度思い込むと周囲が見えない人だった。それが翌91年4月のジョン・テンタに対する八百長野郎発言になってしまったのだろう。

 人に対する警戒心が解けた北尾さんは無邪気で子供っぽさがあった。カラオケでアニメソングばかりを熱唱して天龍さんやカブキさんをイラッとさせていたのは、はた目には笑えた。

 ある取材の時には、黒のレザージャケットに黒のレザーグローブでやってきて「何だかわかる?」とドヤ顔。「ロッキー」のビデオを見てハマり、ロッキー・バルボアのファッションを完コピして登場するというミーハーなところもあった。

 筆者が最後に北尾さんと話をしたのは2000年。FMWでWEWヘビー級王者に君臨していた冬木弘道さんが突如として北尾戦をぶち上げた時だ。引退後の北尾さんはプロレス界との関係を断っていたが、冬木さんの依頼を受けてコンタクトを取ると「すみませんと冬木さんにお伝えください。これが天龍さんの頼みだったら、断れないんですけどね」という答えだった。

 八百長野郎発言でSWSを解雇された時には天龍さんを悲しませたが、94年に北尾道場(のちの武輝道場)を立ち上げて、天龍さんのWARに上がるようになった北尾さんは、ずっと天龍さんをリスペクトしていた。
 繊細さ、無邪気さ、思い込みの激しさの微妙なバランスが北尾さんの魅力であり、危うさでもあったように思う。合掌。