デストロイヤーさんしのび和田京平氏「あんなに売れたマスクはない」アイデア豊富な商売人の一面

2019年03月09日 16時30分

デストロイヤーさんの試合を裁く和田レフェリー(右)(1979年5月)

 7日(日本時間8日)に米国で死去したザ・デストロイヤー(本名ディック・ベイヤー、享年88)さんには、“商売人”としての才覚もあったという。「一番売れたのがデストロイヤーのマスク。あんなに売れたマスクはない」(全日本プロレス・和田京平名誉レフェリー)

 グッズに最初にサインを入れた選手がデストロイヤーさんで、全日本を率いていた故ジャイアント馬場さんもまねるようになった。当時のプロレス界になかった子供用のTシャツを作製するなどし、老若男女問わず人気は急上昇。団体の屋台骨を支える存在になった。

 和田氏によれば「グッズに関しては、デストロイヤーだけ馬場さんが許可していた。『マスクを売らせてくれるなら日本に残る』という感じだったんだろうな。馬場さんもデストロイヤーが大事だったんだよ」。

 多額のグッズ収益を得る一方で、派手さは好まなかった。愛車はホンダのシビック。覆面姿で原付きバイクをまたぐこともあった。また、グッズ販売を手伝った和田氏らを東京・麹町にあった一軒家に招き、バーベキューパーティーでねぎらうことも忘れなかった。

 何より和田氏が知る限り、プライベートでも覆面姿を貫いた唯一の選手だという。「だって表に出た時に素顔で歩いたら、ただのオッサンじゃん(笑い)。でもマスクをかぶっていたらデストロイヤー。そうするとみんながチヤホヤするから。馬場さんとの会話でも『マスクをかぶっているほうが金がかからない』ってね」と意外な理由を明かす。

 高速道路の料金所や空港の入国審査は日本語で「ボク、デストロイヤー」と言えば難なくパスし、飲食店では周りの人が支払ってくれたとか。抜群の知名度だからこそできた“芸当”だろう。