“ラテンの魔豹”の異名で一時代を築いた元WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者のペドロ・モラレスさんが12日(日本時間13日)に死去した。76歳。近年はパーキンソン病を患っていたという。WWEが発表し、この日のスマックダウン大会(オハイオ州トレド)では冒頭で追悼グラフィックが流された。

 モラレスさんはプエルトリコ出身。米国に渡った後、1959年に17歳でプロレスデビューした。天性のバネとしなやかな肉体、美しい褐色の肌で人気を集めるようになる。

 60年代には西海岸に渡り、ロサンゼルスが本拠地のWWAを主戦場とする。“魔王”ザ・デストロイヤーらと死闘を展開し、WWA世界ヘビー級王座も獲得。この時期、海外遠征中だった故ジャイアント馬場さんに、バネを利かせた美しいフォームのドロップキックを伝授。馬場さんの代名詞となった「32文ロケット砲」誕生に貢献した。

 70年にはWWWFに復帰。MS・Gで“皇帝”イワン・コロフを破ってWWWFヘビー級王座を獲得。第4代王者としてラテン系のファンから熱狂的に支持され、同じようにイタリア系ファンの英雄だった“人間発電所”ブルーノ・サンマルチノに代わってMS・Gの帝王として君臨した。

 72年9月、ニューヨークのシェイ・スタジアムで行われたサンマルチノ戦は、2万2000人の大観衆を集め、75分にわたる激闘の末に条例で引き分け。名勝負として語り継がれている。実に「1027日間」の長期政権を築き上げるも73年12月、スタン・スタージャックに敗れて王座から陥落した。95年にはWWE殿堂入りを果たした。

 日本では日本プロレス、全日本プロレス、新日本プロレスに来日。全日本では馬場さんのPWFヘビー級王座に挑戦。新日本ではアントニオ猪木氏のNWFヘビー級王座にも挑戦した。