マサ斎藤さん壮絶リング秘話 来年2月の復帰目指し懸命のリハビリ

2018年07月17日 19時00分

パーキンソン病と闘い奇跡の復活を目指した斎藤さん(15年11月)
パーキンソン病と闘い奇跡の復活を目指した斎藤さん(15年11月)

 日米マットでトップレスラーとして活躍したプロレス界のレジェンドで、“獄門鬼”ことマサ斎藤さん(本名・斎藤昌典)が14日に死去していたことが16日、分かった。75歳だった。1987年10月に“燃える闘魂”アントニオ猪木氏(75=参議院議員)と大死闘を繰り広げた「巌流島の決闘」は、今でもプロレスファンの語り草となっている。2000年にパーキンソン病を発症したが、不屈の闘志でリハビリに励み、最期までリングに上がることを目指し続けた。その壮絶な生きざまを追悼公開――。

 昭和の名レスラーがまた一人、この世を去った。健介オフィスの発表によると、パーキンソン病で闘病中だったマサさんは、容体が急変。14日午前1時5分に帰らぬ人となった。通夜および葬儀に関しては、家族・関係者が都内で執り行う予定としている。夫人の倫子(みちこ)さんは健介オフィスを通じて「7月14日01時05分に永眠しました。穏やかながらも、新たなチャレンジへ向かうような、マサ斎藤らしい力強い旅立ちでした」とコメントした。

 マサさんは1964年東京五輪に出場するなどレスリングで活躍した後、65年に日本プロレスに入門。その後は日米マットを股にかけて暴れまくった。特に、87年にアントニオ猪木と戦った「巌流島の決闘」では、2時間5分14秒にわたる大死闘を繰り広げた。マサさんは猪木の“魔性のスリーパー”で絞め落とされてTKO負けしたが、プロレス史に名を残した。

 99年に現役を引退し、その後は佐々木健介(51)率いる健介オフィスのアドバイザーなどを務めた。2000年にパーキンソン病を発症。15年11月の本紙インタビューでは20年東京五輪の聖火ランナーになることを目標に、懸命にリハビリに励んでいることを告白した。16年12月2日には、元新日本プロレス取締役・上井文彦氏(64)のプロデュース興行(大阪市立城東区民センター)で“リング復帰”を果たし、武藤敬司(55)が扮した海賊男をパンチとキックで蹴散らした。昨年4月7日の同興行でもリングに上がり、愛弟子のマサ北宮(29=ノア)を激励。これが公に姿を見せた最後となった。

 プロレスラーとしての最期をみとった形の上井氏は「青天のへきれき。マサさんが『リングにもう一回上がりたい』『大阪でやりたい、上井のところに上がりたい』と言うので、今年12月7日と来年2月15日に、大阪の会場を押さえてあったのに…」と言葉を詰まらせた。上井氏によれば、マサさんの生きがいは「リングに上がること」だった。一昨年のリング復帰も入院していたマサさんから「リングに上がりたい」との要望を受けて、準備に奔走して実現させたものだ。

 倫子さんが出したコメントにある「更には、来年再びカムバックのチャンスも出て来ました。その為にリハビリに意欲を燃やしていた」(夫人コメント原文ママ)のは来年2月15日の大阪大会出陣を見据えてのこと。「マサさんに12月と来年2月どちらがいいですかと聞いたら『2月がいい、2月なら準備万端でいいよ』と。マサさんはリングのことなら元気になる。そのために上半身のトレーニングを始めていたと聞いてます。ファンに、急激に衰えた体を見せたくないということでしょう」(上井氏)

 壮絶な覚悟を示しながら3度目のリング復帰を目指していた矢先の訃報。すでに故人と対面した上井氏は「ただただ残念です」と言葉を絞り出した。上井興行として「マサ斎藤メモリアル」大会の開催を検討しているという。

 獄門鬼は「Go for broke」(当たって砕けろ)の信条通り、プロレスラーとして戦い続けたまま生涯を終えた。

☆まさ・さいとう=本名・斎藤昌典(まさのり)。1942年8月7日生まれ。東京・中野区出身。明大卒。64年東京五輪レスリング日本代表。65年、日本プロレス入り。68年に渡米。82年以降は長州力の維新軍、ジャパンプロレスに参加。84年、米国で同僚レスラーの乱闘事件に巻き込まれ有罪となり、1年半服役。出所後の87年、アントニオ猪木と巌流島で決闘。90年にはAWA世界王座を獲得した。99年引退。信条は「Go for broke」(当たって砕けろ)。全盛時は180センチ、120キロ。得意技はバックドロップ、監獄固め。

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