“皇帝戦士”の異名を取り、新日本プロレスや全日本プロレスなどで活躍した米国人レスラーのビッグバン・ベイダー(本名レオン・ホワイト)さんが死去したことが、本人の公式ツイッターで20日に発表された。63歳だった。

 同ツイッターによると、約1か月前に重度の肺炎を患い、闘病を続けていた。一時は回復に向かったが、18日午後7時25分(現地時間)に帰らぬ人となった。体調不安は以前からささやかれており、昨年4月にかつてのライバル・藤波辰爾(64)のメモリアル大会に参戦するため来日した際には、2016年末に心臓疾患で「余命2年」と医師から宣告されたと明かした。

 それでも「ベイダーは死なない」とドクターストップを振り切る形でリングに上がり続けていることを告白。同4月20日のドラディション東京・後楽園ホール大会ではセレモニー中にリング上で昏倒してしまうハプニングもあったが、無事に3大会に出場した。

 NFLのプロフットボーラーから1985年にプロレスに転向すると、87年12月にはTPG(たけしプロレス軍団)の刺客として新日プロに初登場。デビュー戦でアントニオ猪木(75)を破る特大のインパクトを残した。

 甲冑姿での入場が人気を博した。身長190センチ、体重170キロの巨体を生かしたパワー殺法に加え、ムーンサルトプレスまで使いこなす器用さを見せて名勝負を連発。89年4月24日の東京ドーム大会ではIWGPヘビー級王座を初戴冠し、通算3度も同王座に就いた。

 その後はWCW世界王座を3度獲得し、UWFインターでは94年8月18日に髙田延彦(56)を撃破し、プロレスリング世界ヘビー級王者に。WWF(現WWE)を経て全日本プロレスを主戦場とすると、99年3月6日には3冠ヘビー級王座を戴冠。IWGPと3冠という2大メジャー王座を制覇した初の選手として日本マット界に歴史を刻んだ名レスラーだった。

藤波の話】驚いていますし、残念な気持ちでいっぱいです。昨年4月に僕の記念大会に出てくれた時も、体をケアしながらだった。あの時も体調面の不安が大きかったのかな。ただ、まさかこうなるとは思っていませんでした。日本に来た時から縁の深い選手で、僕の腰を壊したのも彼だった。あの体で手加減することなく、全力で来てくれたということですよ。本当に残念。心よりご冥福をお祈りいたします。