【麻美ゆま連載17】OLに認知された「恵比寿マスカッツ」
【麻美ゆま「HAPPY&SMILE」:連載17】恵比寿マスカッツで特にうれしかったのがライブができたことです。最初は番組の「スカットソング」で1980年代の曲を歌っていたんですよ。途中から「自分たちの曲も欲しいね」ってことで、「バナナ・マンゴー・ハイスクール」という曲を番組が用意してくれて、それがCDになったんです。
思い出深いのはリーダーになってからの日比谷野外音楽堂でのライブ。冒頭に「私たちの大切な曲を歌います」と言って、AKB48を歌ったんですよ(笑い)。当時、マスカッツはまだ衣装が少なくて、お揃いのチェックのスカートを買いに行きました。AKBって制服のイメージがあるじゃないですか。
ツアーもやりました。「全国CAMP」といって何人かのメンバーに分かれて全国各地でライブをするんです。最後は東京に戻ってきてライブをするのですが、CAMPでいろいろ経験して集まっているからびっくりするほどいいものになる。地方では人数が普段より少ないから話す時間も多くなるんですよ。そこで「こんな子だったんだ」とメンバーの新たなキャラを知ることができて、ライブにも生かせる。CAMP後にメンバー揃ってのライブは完成度が高かったと思います。
2年半やったリーダーを代わるときは、重荷が外れるといううれしさもありました。リーダーのときは苦しくて仕方がなかったけど、辞めてからはマスカッツが本当に大好きになりました。3代目は希志あいのちゃん。あいのちゃんは「もっとマスカッツのことを好きになってほしい」というタイプのリーダーだったこともあり、とても感謝しています。
周りからも「本来のゆまちゃんが戻ってきたね」って。それくらいリーダーのときはリハーサルでもピリピリして、あんまりいいムードではなかったのかも。ライブでも「これを言わなきゃ」「あれをしなきゃ」と考えていたけど、リーダーじゃなくなってからは単純に歌って踊って、言いたいことあったら言って(笑い)。解放されて楽しんでいました。
マスカッツのおかげで女性ファンが増えたこともうれしかったですね。お昼の時間帯に新宿のうどん屋さんにいたら、2人組のOLさんが入ってきて「夜中にやってるおぎやはぎとかAV女優が出てる番組知ってる?」って話してて。「ここにいるよー!」と思いながらも、すごいうれしかったなあ。ライブにも女性が多くなって、コスプレしてきたり、メンバーのうちわを作ってきたりする女性もいたんですよ。
楽しかったマスカッツだけど解散のときが近づきました。マスカッツが続く間はAV女優を辞めないと考えていた私ですが、じゃあどうしようかなと思っていたら、病気になってしまったんです。「いつまでAVをやっていられるのかな」という状況ではなく、病気によって「麻美ゆまとしてやっていけるのか」となっちゃった。入院、手術を経て、2013年8月を最後に抗がん剤治療が終わり、徐々に復帰に向けて動き出していきます。
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